郵便の全国展開が決まったのはいつ?|明治5年 2022.04.29 日本郵便史の知識 郵便の全国展開明治5年1月の駅逓寮の会議では、東京以西南の郵便線路があらかた整ったのを受けて、残る東京以東北の地方においても速やかに郵便線路を延伸させることとし、同地方に駅逓寮から官員を巡回させることを決定しました。明治4年8月、駅逓頭に就任した前島は、欧米で習得した新しい知識に基づいて、郵便全
現存する明治末期の二等郵便局|旧軽井沢郵便局(軽井沢タリアセン・明治四十四年館) 2022.04.27 レトロ郵便局舎 旧軽井沢郵便局の概要もともと軽井沢には、明治5年9月24日開局の軽井沢郵便取扱所(明治8年1月1日に郵便局に改定)がありましたが、明治17年8月15日に廃止され、それから数年間は近隣の追分郵便局が集配を行うことになります。軽井沢宿は中山道の宿場町であり、追分宿(信濃追分)・沓掛宿(中軽井沢)とと
後藤家住宅旧郵便局舎|旧岐阜東郵便局(旧芥見郵便局) 2022.04.23 レトロ郵便局舎 旧芥見郵便局(後藤家住宅旧郵便局舎)の概要岐阜県の芥見郵便局(現・岐阜東郵便局)は明治9年9月にできた五等郵便局の芥見郵便局を起源とします。明治36年3月5日からは後藤家が郵便局長を務め、現存する旧郵便局舎は昭和12年5月11日に旧局舎に隣接する位置に新築されたものです。もともと岐阜県稲葉郡芥見
日本切手に裏糊が引かれた最初とは|明治5年 2022.04.22 日本郵便史の知識 新貨条例と竜銭切手「新貨条例」が、明治4年6月に太政官より布告されました。同年12月より、旧貨幣と新銭貨との交換が開始されたことを受けて、明治5年1月に郵便料金が文単位から銭単位に改定されました(銭百文=一銭)。翌2月(1872年4月)、半銭、一銭、二銭、五銭の新しい額面の切手が発行されています
新式郵便が長崎まで達したのはいつ?|明治4年 2022.04.20 日本郵便史の知識 長崎まで郵便開通明治4年12月5日(西暦1872年1月14日)、大阪以西長崎までの郵便線路が開通しました。この時、長崎と神戸に郵便役所が新設され、大阪から長崎に至る街道沿いや枝道に郵便取扱所が増設されました。これで東京-長崎間の郵便がつながったことになります。すでに、同年8月には官営郵便
大正末期の旧甲府法人会館に入居|甲府中央四郵便局 2022.04.19 レトロ郵便局舎 甲府中央四郵便局の概要甲府中央四郵便局(山梨県甲府市)は明治23年6月に設置された相生町郵便受取所を起源とします。郵趣界においては明治32年10月以降の緑町ないし甲府緑町の局名表示の縦書丸一印(非郵便)がもっとも多くみられます。明治38年4月には三等無集局に改定されました。甲府中央四
前島密が駅逓頭に再任された経緯は?|明治4年 2022.04.15 日本郵便史の知識 前島密の帰国前島 密は明治4年8月11日(西暦1871年9月25日)に米国経由で帰国しました。その前日、駅逓司が三等寮に昇格し大蔵省駅逓寮になり、杉浦 譲*の後任の浜口成則が駅逓頭に就いています。さっそく前島は浜口に面会したのですが、浜口は「通信の事は已に飛脚屋あり。官営は予の可とする所に非ず」
中山道鵜沼宿町屋館|旧鵜沼郵便局(現・各務原東郵便局) 2022.04.15 レトロ郵便局舎 旧鵜沼郵便局(現・各務原東郵便局)の概要鵜沼郵便局(現・各務原東郵便局)は明治7年7月に鵜沼郵便取扱所として開設されたのが最初です。本家筋(武藤嘉左衛門家)が営んでいた郵便局を引き継ぎ、江戸時代に旅籠「絹屋」の主屋だった施設を転用して、明治16年頃(*18,21?資料により記載の異同あり)から郵
日本最初の切手が誕生する舞台裏について|明治4年 2022.04.08 日本郵便史の知識 日本最初の郵便切手―竜文切手4種明治4年3月1日(1871年4月20日)、銭四十八文、銭百文、銭二百文、銭五百文の郵便切手が発行されました。時間賃銭表は、目方五匁までの書状一通分の賃銭で、五匁以上十匁までは一通半、十匁以上十五匁までは2通分の賃銭が必要になります。新たに追加された四十八文切手は、
豊富町郷土資料室兜沼資料室として活用|旧兜沼郵便局 2022.04.07 レトロ郵便局舎 旧兜沼郵便局の概要明治36年に梅村庄次郎以下12戸の岐阜団体が兜沼に入植したのが、北海道豊富町の始まりでした。大正7年6月に三等局の上上佐呂別郵便局が置局されました。兜沼郵便局に改称されたのは昭和12年のことです。兜沼は上サロベツ原野の最北端に位置する湖沼で、近くにはキャンプ場もあります。現存す
機械印の変遷とその形状|大正3年~ 2022.04.06 マルコフィリー 機械印の始まり大正3年に押印の機械化がはじまりました。逓信博物館の林理作の発明した「林式郵便葉書自動押印機」が昭和10年頃までに100台以上が全国配備され、もっぱら郵便はがきの押印に使われました。消印能力は1分間に手動式250枚、電動式300枚という。この機械印は、一見すると手押しの櫛型印と同じ
観光案内施設として活用|旧伏見郵便局(松屋山田家住宅) 2022.04.03 レトロ郵便局舎 旧伏見郵便局の概要伏見郵便局(岐阜)は明治9年に五等郵便局として設置されましたが、明治19年3月31日をもって廃止されました。その後、新設の三等郵便局(無集配)として昭和8年3月26日に設置されました。請願による置局で、窓口業務が中心の小規模な郵便局舎でした。昭和18年3月22日から通話事務が行