銀行のようなつくりの洋館と土蔵が現存する旧粟野郵便局 2024.08.30 レトロ郵便局舎 旧粟野郵便局の概要粟野郵便局名にもなっている粟野町は栃木県上都賀郡に存在した町です。町の地理は山が多く、横根山、谷倉山、高谷山などがあり、思川が流れていました。歴史的には、明治22年(1889)4月1日に町村制の施行により、粟野村、賀蘇尾村(がそおむら)、永野村(ながのむら)、清洲村(きよすむら
飛騨の山間集落にひっそりと存立する旧朝日郵便局 2024.08.27 レトロ郵便局舎 旧朝日郵便局の概要朝日郵便局の局名にもなっている朝日ですが、かつて岐阜県大野郡にあった村名でもあります。周知のとおり、飛騨国は明治9年(1876年)8月21日の第2次府県統合で、筑摩県(現在の長野県の前身の1つ)から岐阜県の管轄となりました。明治12年(1879年)2月18日の郡区町村編制法の岐
福井県福井市の北西部に位置する集配局舎|旧鶉郵便局 2024.08.23 レトロ郵便局舎 旧鶉郵便局の概要鶉(うずら)郵便局の局名にもなっている鶉地区は、福井県福井市の北西部に位置する地域で、川西ブロックに属しています。2024年1月1日現在の人口は2,769人、世帯数は1,001世帯となっています。鶉地区は自然が豊かで環境が良い、のどかな農村地帯です。この地域は杉田鶉山翁を輩出し、
大津市の山間集落に現存する旧途中郵便局 2024.08.20 レトロ郵便局舎 旧途中郵便局の概要かつての途中郵便局は滋賀県大津市伊香立途中町(いかたちとちゅうまち)にあります。この地名の由来は、延暦寺の僧侶で千日回峰行という厳しい修行を創始した相応和尚(9世紀の人物)が無道寺と葛川明王院の中間に位置する地を「途中村」と名付けたものと伝えられます。京都市左京区大原小出石町と
富山県南砺市(旧福野町)の旧授眼蔵図書館|吉田鉄郎の建築 2024.08.16 逓信省技師の肖像 旧授眼蔵図書館の概要旧授眼蔵図書館は、福野出身の建築家である吉田鉄郎(旧姓 五島)が東京大学建築学科在学中に設計し、1919年(大正8年)に建てられた鉄筋コンクリート造り平屋建ての建物です。当初は西方寺の私設図書館として開館し、後に福野町立図書館として利用されましたが、現在は福野文化創造センター
琉球郵政の追憶|米軍の酸素ボンベを利用した代用ポスト(郵便ポスト) 2024.08.15 郵便ポストの話題 (写真:那覇市歴史博物館 提供)沖縄における郵便展開と戦後の歩み南西諸島は1874年(明治7年)1月に日本の郵便網に組み込まれました。日本の台湾出兵のため、通信手段の確保が急務となったのです。日本の郵便が停止したのは太平洋戦争末期の沖縄戦で、昭和20年(1945年)3月にアメリカ軍が沖縄に上
かつての伊勢本街道沿いの小さな集落に現存する旧榛原高井郵便局 2024.08.13 レトロ郵便局舎 旧榛原高井郵便局の概要榛原高井(はいばらたかい)と読みます。榛原高井郵便局の所在する榛原町高井は山間部の狭隘な谷間にある小さな集落で、かつては伊勢本街道と呼ばれる伊勢参りの主要な道が通っていました。この地域は、伊勢方面へ向かう道が多くあり、現在ではその区別が曖昧です。高井は宿場町として栄え、近隣
長崎街道の宿場町(塩田宿)及び塩田川の河港(塩田津)とともに知られる旧塩田郵便局 2024.08.09 レトロ郵便局舎 旧塩田郵便局の概要塩田郵便局のある塩田津(しおたつ)は、佐賀県嬉野市塩田町にある街区で、古くは河港として知られていました。かつて有明海の干満による水運と長崎街道の陸路が交差する賑わいを見せた町で、平成17年(2005年)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。江戸時代の建築様式である白
オシャレなパン屋さんとして活用されている旧美祢郵便局 2024.08.06 レトロ郵便局舎 旧美祢郵便局の概要美祢(みね)と読みます。郵便局名にもなっている美祢郡は山口県(旧長門国)に位置していた郡で、現在の美祢市の大部分に相当します。1879年(明治12年)に行政区画として設立された時、郡域は今日の美祢市の大部分(豊田前町などの一部を除く)を占めていました。郡役所は大田村に設置されま
「肥前浜宿の歴史的な町並み」(国の重要伝統的建造物群保存地区)の中にある旧浜郵便局 2024.08.02 レトロ郵便局舎 旧浜郵便局の概要浜町郵便局がある浜町は、江戸時代には多良街道の宿場町として、また有明海沿岸の港町として繁栄していました。陸路と海路の接点であり、物流の起点ともなったこの地域は、江戸から明治にかけて商業の中心地でした。現在では町の中心が現市街地に移りましたが、当時の発展を反映して、街道筋には歴史的