琉球郵政の追憶|米軍の酸素ボンベを利用した代用ポスト(郵便ポスト)

(写真:那覇市歴史博物館 提供)

沖縄における郵便展開と戦後の歩み

南西諸島は1874年(明治7年)1月に日本の郵便網に組み込まれました。日本の台湾出兵のため、通信手段の確保が急務となったのです。日本の郵便が停止したのは太平洋戦争末期の沖縄戦で、昭和20年(1945年)3月にアメリカ軍が沖縄に上陸し、6月23日までに組織的戦争が終了しました。

占領下の南西諸島は昭和20年(1945年)9月4日から群島内の相互通信のみを開始しました。内容は安否照会に限られ、私製はがきと封書のみでした。新聞には配達不能郵便物の氏名が公表され、収容所を回って名宛人を探す場面もありました。占領下の南西諸島で最も早く発行されたのは昭和20年(1945年)10月の久米島切手で、謄写版で印刷されたことで有名です。南西諸島での通常の郵便が再開されたのは、昭和21年(1946年)7月ですが、当初は郵便切手がなく、郵便料金を納付したことを示す印を郵便物に押印する処置がとられました。同地では、奄美、沖縄、久米島、宮古、八重山の5地区に分割され、個別に暫定切手を発行しました。

正式な琉球切手が発行されたのは昭和23年(1948年)7月1日でした。その後、B円軍票が法定通貨となり、昭和33年(1958年)9月から米ドルに切り替わるまで使用されました。昭和47年(1972年)5月15日、沖縄が日本に返還され、米ドル額面の琉球切手も通用を停止しました。

日本郵政グループ那覇ビル

日本郵政グループ那覇ビル

米軍の酸素ボンベを利用した代用ポスト

南西諸島において郵便が再開された時期、米軍が使用していた酸素ボンベを再利用することも行われました。酸素ボンベはその形状を活かしてポストに改造され、各地の郵便局に支給されたのです。1962年(昭和37)頃には本来のポストが普及しましたが、一部の地方ではまだポストが不足しており、代用ポストが使用され続けました。この一度見たら忘れられない酸素ボンベは沖縄郵政資料センターに現存し、展示されています。

沖縄県の代用ポスト

沖縄郵政資料センター(旧:沖縄逓信博物館)

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