逓信省から郵政省へ|昭和24年 2022.10.07 万国郵便連合への復帰占領下の日本を象徴する出来事として、第12回万国郵便連合(UPU)大会議が昭和22年5月パリで開催されたことを紹介します。敗戦国の日本は大会議には招かれず、代わりにGHQの職員が参加したのでした。大会ではUPUが国際連合の機関となることが決定され、新たな万国郵便条約が締結され
横浜郵便役所の創設|明治4年 2022.09.27 横浜郵便発祥の地横浜には近代水道やガス事業など、さまざまな発祥の地の記念碑がありますが、横浜市中区弁天通3丁目には「横浜郵便発祥の地」の碑があります。ちょうど弁天通りと関内桜通りの交差点にあり、特に意識しなければ素通りしてしまうような小さな碑です。現地を訪れると意外に思うかもしれませんが、一方通
民間通信局(CCS)ってどんな組織?|昭和20年 2022.09.23 占領下の郵便アメリカの対日占領政策は政治経済はもとより各般に及び、連合軍最高司令官総司令部(GHQ)は、郵便を含む通信事業に対してもさまざまな場面で指令や覚書を出してきました。それを主導したのがGHQの特別部局として設置された民間通信局(CCS)です。日本国憲法施行記念(昭和22年)
戦後の普通切手|昭和20-23年 2022.09.16 新昭和切手の発行昭和20年12月、新しい時代にふさわしい平和色豊かな切手図案を募集し、入選作を中心とした一群の切手が発行されました。この新しいシリーズのことを「新昭和切手」と呼びます。このシリーズから右書き「日本郵便」に改められました。最初は目打なし糊なしの平版切手でしたが(第1次)、印刷局の復
昭和切手の登場と楠公はがき|昭和12年 2022.09.09 昭和切手の登場大正の初めから長らく使われてきた田沢切手が図案的な魅力にとぼしいことから、新しいデザインへの全面的な切りかえを望む声が昭和の初め頃からしきりでありました。逓信省は、このような要望にこたえ、<躍進日本>を象徴する絵画的な図案に全面的に改正する方針で、「改正郵便切手図案審査委員会」を組
関東大震災と震災切手|大正12年 2022.09.01 関東大震災と郵便関連施設の被害大正12年9月1日の関東大震災で、逓信省、貯金局、簡易保険局などが焼失し、京浜地区の郵便局、電信局の大半が被災しました。被災した郵便局は197局にのぼり、京浜地区の郵便業務は壊滅状態におちいりました。貯金局被災により貯金原簿ほか一切の関係書類が焼失しています。
大正時代を代表する切手といえば|大正2年 2022.08.26 新切手図案の募集明治45年7月30日、明治天皇が崩御し、大正天皇が即位しました。新天皇の即位を機に、逓信省は普通切手のデザインを一新することとし、図案の公募を行います。こうして一等に選ばれた田沢昌言(印刷局々員)の図案が切手に採用され、図案者の名に因み、このシリーズを「田沢切手」と呼びます。
逓信省の絵はがき発行|明治35年 2022.08.19 逓信省の絵はがき明治35年、逓信省は、万国郵便連合加盟二五年祝典紀念絵はがきを6枚1組5銭で売り出し、同時に、特殊通信日付印(記念スタンプ)も郵便局、その支局・出張所計62ヵ所で使用しました。絵はがきの発行も記念スタンプの使用も、この時初めてでした。過熱した逓信省絵葉書の人気明治37年9
日中戦争・太平洋戦争の軍事郵便|昭和12年 2022.08.15 日中戦争・太平洋戦争の軍事郵便の概略昭和12年、日中戦争がはじまると、陸軍では大本営に野戦高等郵便部を設置し、野戦郵便の統括部署となりました。戦地の軍司令部には野戦郵便部を置き、前線部隊などに実際に軍事郵便を取り扱う野戦郵便局や野戦郵便所を配置しました。これら組織に属する職員はすべて軍属として逓
郵便法(旧)の制定とその意義|明治33年 2022.08.12 明治33年の郵便法制定郵便法(明治33年法律第54号)は、近代国家としての法整備の一環として制定されたものです。公布は明治33年3月12日、施行は10月1日でした。同法は明治15年に公布された郵便条例が基礎になっています。郵便条例は当初15章249条の大条例になっていましたが、郵便法は約5分の1
福井・尾張熱田間に独自の郵便路線を開設した福井県|明治4年 2022.08.06 郵便会所(福井県)による独自の郵便制度郵便創業は明治4年3月のことでしたが、当初は東海道のみに限定され、全国展開はまだ先のことでした。そこで福井県は明治4年10月ころには独自に新しい郵便の導入を図ったことが知られています。まず、同10月の日付で、木版刷りの「越前郵便之定」を管内に配布しました。現
菊切手の発行とその時代の郵便はがき|明治32年 2022.08.05 菊切手の発行明治32年1月から新しい普通切手の発行が始まりました。折からの国粋主義的風潮を背景に、菊花紋章を図案の中央に配し、英語の国名表記も廃された「菊切手」と呼ばれるシリーズでした。菊はがきの登場菊切手に先立ち、明治31年12月に、同一図案の料額印面をもつ、「菊はがき」が発行