磐梯山の噴火を今に伝える湖畔のレトロ局舎|桧原郵便局(福島県) 2023.02.06 レトロ郵便局舎 旧桧原郵便局の概要桧原(ひばら)と読みます。湖底に沈む桧原宿跡の話をご存じでしょうか。桧原宿はかつて会津若松と米沢を結ぶ56㎞の街道(通称米沢街道)にあった宿場で、伊能忠敬の記録にも出てくる場所です。近世には銀山が開発されたほか、隣の宿場である大塩宿では塩泉を利用した山塩が産出されたことから賑わ
日頃市簡易郵便局の局舎と変遷について|岩手県内の記録 2023.02.01 岩手県内の記録 日頃市簡易郵便局の郵便局舎の変遷日頃市(ひころいち)と読みます。昭和24年11月1日に日頃市簡易郵便局として設置されました。大船渡市農業協同組合日頃市支所の構内に設置されていることからもわかるように、農協受託の簡易郵便局でしたが、平成24年8月に一時閉鎖され、その後、平成26年3月10日に移転・
ネオ・バロックの壮大な逓信省本省庁舎|吉井茂則・内田四郎 2023.01.29 逓信省技師の肖像 木挽町8丁目1番地逓信省本省のあった木挽町8丁目1番地は、郵便というよりも電信との関わりが深い場所で、電信の研究機関と資材倉庫のあった場所でした。明治15年(1882)11月1日には工部省電信局が移転して管理部門となり、一般の電報利用者向けには潮留(止)電信取扱所も同日に設置されました。ところが
モダニズム建築の広島逓信局庁舎|逓信省技師 上浪朗 2023.01.28 逓信省技師の肖像 (図版協力:安藤源成氏)広島と岡山が争った逓信局誘致広島逓信局は逓信省の中国地方の管理機関です。モダニズム建築の庁舎は昭和7年3月5日着工し、昭和8年3月に竣工しました。所在地は広島市中区東白島町19番でした。当時の広島市は、岡山市と逓信局の誘致をめぐって競ったことが知られており、この庁舎は
複雑な局名改称を遂げた広島駅前郵便局|広島JPビル郵便局(現在) 2023.01.27 レトロ郵便局舎 大正時代に新設された広島駅前郵便局広島市内の郵便史は複雑です。郵便創業期の明治4年12月5日に開局した広島郵便取扱所の流れを汲むのが、現在の広島西郵便局(昭和33年10月末まで広島郵便局)であり、大正12年3月1日に広島駅前に新設されたのが広島駅前郵便局(昭和33年11月1日から広島郵便局)です
京城郵便局・釜山郵便局|朝鮮における逓信関連の建築 2023.01.26 逓信省技師の肖像 メイン図版は朝鮮総督府逓信局庁舎です。明治43年10月1日、朝鮮総督府の設置時点では通信局でしたが、明治45年4月1日には「逓信局」と改称されました。(図版協力:安藤源成氏)大正初期の京城郵便局(図版協力:安藤源成氏)日本の京城郵便局が設置されたのは明治34年3月20日の
大股郵便局の歴代局舎と変遷について|岩手県内の記録 2023.01.25 岩手県内の記録 大股郵便局の郵便局舎の変遷大股郵便局は明治35年3月1日に世田米村字下大股30-2に開局しました。初代局長は遠藤友治氏です。現地へ行くと、明治35年の木造局舎・昭和34年の局舎、そして平成5年の局舎が1つの道に並んでいる様子が楽しめます。
山本周五郎とゆかりのある「みどう本陣」|旧初狩郵便局 2023.01.24 レトロ郵便局舎 旧初狩郵便局の概要初狩郵便取扱所ができたのは、他の甲州街道沿いの局所と同じ明治5年7月1日(1872年8月4日)のことです。郵便創業期の文書には逓送請負人として富田右内と奥脇市右衛門の2氏が連名で記載されており、下初狩の初代郵便取扱役(郵便局長)には富田右内が任命されています。下初狩郵便取扱所は
北海道の旧駅舎を再利用した局舎|万字仲町簡易郵便局 2023.01.23 レトロ郵便局舎 万字仲町簡易郵便局の概要万字仲町簡易郵便局は昭和40年3月30日に開局した局で、万字炭山の労働者や家族、農業従事者などに利用されてきました。万字線(国鉄)の旧万字駅が万字仲町簡易郵便局として再利用されており、鉄道窓口をそのまま郵便局舎として使用しています。 地方公共団体を受託者とする簡易郵便局で
明治22年の松本郵便電信局舎|初期逓信建築 2023.01.22 逓信省技師の肖像 明治22年の松本郵便電信局舎松本郵便電信局舎は明治22年4月にできた木造局舎です。横浜郵便電信局舎とほぼ同時期の局舎であり、最初期の逓信建築の1つです。当初は木造建家83坪06の小ぶりな局舎でしたが、絵葉書の左手部分が増築されました。増築前は2階屋根のアーチ状の装飾がほぼ中央に来るかたちでした。
明治20年の神戸郵便電信局舎と大正8年の神戸郵便局舎 2023.01.21 逓信省技師の肖像 初期の神戸郵便局舎の変遷明治4年、山陽道まで郵便が延伸するにあたって、神戸市場町の広島屋彦三郎所有の民家を700両で買い上げ、神戸郵便仮役所としたのが始まりです。当初は敷地面積36坪984、建家は2階建の民家でした。ところが、郵便物の量が増え、また外国郵便も開始することから、明治7年末に「横浜、
明治45年の新潟逓信管理局及び新潟郵便局庁舎 2023.01.19 逓信省技師の肖像 明治29年の新潟郵便電信局舎新潟郵便電信局舎(西堀五番町)は明治29年に完成しました。中島泉次郎が設計したことがわかっていて、同氏の略歴では、明治28年4月11日に担当しています。しかし、明治41年9月4日夜、「菊の湯火事」と呼ばれる大火で焼失しました。新潟市もこの大火を機に思い切った市区改正を