飛脚はどれくらいの費用だったか

飛脚問屋の賃料

巻島隆『江戸の飛脚』によると、慶応三年(1867)、大坂から江戸まで書状一通を運ぶ飛脚賃は、並便(15日ほど)で銀一匁、六日限の早便が銀三匁五分、三日半限の仕立便は金十一両でした。金1両=銀60匁=1万円で換算すると、並便150円、早便600円、仕立便11万円くらいに相当します。仕立便は別にして、商人たちは日常的に飛脚便を利用しました。

定飛脚のネットワーク

京都・大坂の飛脚問屋は地域別に独自の輸送路線を持っていて、東国一帯は江戸の定飛脚仲間が荷物を引き継ぎ、西国全般は大坂の三度飛脚仲間が受け持ち、広域輸送を可能としました。東海道、中山道、奥州街道や、脇往還にも飛脚取次所が置かれ、飛脚のネットワークは全国におよびました。江戸では、定飛脚仲間九軒のほか、六組飛脚仲間、江戸府内と近国に書状を運ぶ町飛脚が営業していました。定飛脚仲間の京屋・島屋は、出店・取次所を各地に設け、「早便」を輸送主力商品に独自のネットワークを築いています。

文:近辻喜一(ちかつじ・きいち)

近辻喜一さん郵便史研究会会長。『新版・明治郵便局名録』(鳴美、2015年)校訂者として知られ、一般の方にも親しみやすい郵便史の解説で定評がある。多摩地域を中心とする郷土史研究者としての顔も持つ。

 

 

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