論文 幕末・明治初期における公用通信制度(5)

井上 卓朗(いのうえ・たくろう)
「月刊 たんぶるぽすと」Vol.50-2021

(*著者・株式会社鳴美・資料所蔵館の厚意により転載の許諾をいただきました。メイン写真は大阪駅逓司跡[日本銀行 大阪支店]。サイト管理人)

2 明治期の地方公用通信網の展開

(1)地方行政区画の変遷

明治初期は江戸時代の幕藩体制から中央集権的な近代国家への移行期であり、地方行政区画は短期間にめまぐるしく変化した。明治維新直後、新政府は直轄領となった旧幕領の代官支配地を県とし、大名領は藩とし、東京・京都・大阪や函館・新潟・横浜・神戸・長崎の開港地は府とした。明治2年の版籍奉還を経て、明治4年廃藩置県が行われ、1使(開拓使)3府、302県となったが、近世の大名領、幕府旗本領など領地的境界が錯綜していた。これを地理的行政区画とするための統廃合が行われ、明治4年12月には1使3府72県となり、明治9年にはさらに大規模な県の統廃合が行われた(17)。

府藩県内の行政的な区分は、明治4年戸籍作成のために戸籍区を設置、明治5年4月、庄屋、名主、年寄など村役人の名称を廃止して、戸長、副戸長とした。同年10月には大区・小区制度を施行して、大区には区長、副区長を置いた。

しかし、中央集権的な色彩が強く地域の実情に合わないとの批判があり、明治11年には、地方三新法と呼ばれる郡区町村編制法、府県会規則、地方税規則が制定された(18)。

その一つの郡区町村編制法により、府県下の行政単位を郡・区・町村として、郡長・区長・戸長が置かれた。郡には郡役所、区には区役所が設置され、町村には戸長役場が設けられた。戸長役場は、郵便取扱人が自宅を郵便取扱所としたのと同様に、戸長の自宅をそのまま戸長役場として使うことが多かった(19)。

このような各府県成立後の行政区の変遷に対応しながら、各府県においてそれぞれ似通った公状逓送方法が検討され、実施された。各府県等の行政に関る公用通信制度は行政区の変遷と大きく連動して成立していったのである。

(2)政府と府藩県等との公用通信

中央集権国家を目指す明治政府は、まず国内を政府権限の及ぶ状態にする必要があった。多くの指令等を各府県に伝え、各府県もそれに対する回答、照会、上申などを行なう必要があった。明治2年、政府は各府藩県に対し東京の馬喰町元郡代屋敷に東京出張所を設け、そこを通じて各府県等との文書送達を行なった。明治4年の廃藩置県後は、丸の内常盤橋内の元福井藩主私邸に移転している(20)。

明治政府は、太政官での決定事項を各府県出張所に伝達し、各府県はそれぞれ独自の方法で、それを自府県まで送達していたが、明治4年以降、郵便が開設された地域の各府県東京出張所は、公文書の発送に際し郵便を利用することになった。

公状発送に郵便を使用する際、切手が必要となるが、それに関連するエピソードが以下に示す府県出張所月番への駅逓寮達として残っている。

□□日寮議10月14日達
府県出張所月番エ之御達シ案
府県出張所門番之者エ郵便切手売下ケ方先般願之通り聞届置候処、公事ヲ奉スル者ニシテ公然公務之余暇ヲ以公物ヲ売捌、其手数料請取候儀者詮議之次第モ有之候ニ付、自今右売下ケ方差止申候此段門番ノ者ヘ可被為相達候也
壬申十月               駅逓寮

つまり、府県出張所で切手が必要となることから、府県出張所の門番が切手売捌きを申請し許可を得て販売を行った。ところが府県出張所の門番は公費で雇われたものである。公務中に切手売捌きを行い、切手売捌手数料を得ているのは問題だとして駅逓寮の寮議で問題となり、許可が取り消された、というのである。このような門番の給与であるが、駅逓寮郵便役所の門番(小遣兼門番)は月給3両であった(21)。

郵便が不通の県では、従来のまま脚夫による定便逓送か飛脚問屋を利用していた。

しかし、明治5年7月の郵便の全国実施に伴い太政官布告第230号をもって「自今各省府県ノ公文ヲ発送スルハ総テ郵便ニ詫付セシム但シ速達ヲ要スル者ハ脚夫ヲ以テ発送セシム」ことになり、通常の公文書類は郵便で差立てることとなった。郵便が明治6年8月から各県庁所在地へ毎日逓送されるようになったのである。

そのため、中央政府とのパイプとして重要な役割を担ってきた府県出張所は、明治8年に廃止されることになった。この出張所廃止にあたって、定められた埼玉県の府県往復規程(22)によると、その第1条に「府県より進達する諸願伺届等はすべて郵便をもって直に院省へ送達し、院省の指令および達等の文書も郵便に付すべき事」とあり、第4条に「府県への諸布告・布達類は各院省より郵送すべき事」となっている。このように、中央官庁と各府県等との公用文書送達は、明治8年という比較的早い時期に郵便によって行なわれるようになったのである。

(3)地方管内の公用通信

公用状の通信方法の変遷は、駅停司の通信・交通網の改編からはじまった。府藩県において、中央の駅逓司・駅逓寮と連携して通信・交通に関する業務を行なったのは、明治2年7月に設置された駅逓掛であった。宿駅における伝馬助郷に関連する業務は、明治3年3月の駅法改正時に、府藩県の駅逓掛から官員が出張し取り扱うことになったが、明治5年に伝馬所、助郷が廃止されたことによって、出張していた府県駅逓官員は引き上げることになった。

これに代わり、同年3月4日に、郵便の全国実施に伴う事務取扱のために、使府県の官員1名が郵便掛として同業務を兼務するよう指示が出され(23)、4月4日にはこの郵便事務の内容が「府県ノ郵便事務ヲ掌管スル官吏ハ管内一般ニ郵便ノ開通スル方法ヲ考案シ長官ノ判決ヲ経テ駅逓寮ニ協議シ便宜ヲ勘酌シテ実際ニ施行シ且郵便規則并ニ郵便発送規則ニ照準シ同寮ノ論諭ヲ奉承シテ管内各地ノ郵便取扱所ヲ監督シ以テ其事務ヲ処理スヘシ」と定められた。明治10年代、各地方における郵便取扱所の設置の検討・実施は、この掛を中心に行なわれた。

地方管内においては、まず管内の主要街道、脇往還の宿駅を中心に郵便取扱所が設置され、中央政府と県庁との通信は確保された。明治6年2月24日太政官布告第68号「府縣へ布告到達ノ日限ヲ定メ三十日間掲示ノ後ハ一般知リ得タルモノト看做ス」により布告発令毎に便宜の地に30日間掲示するよう定められ、同年6月14日には太政官布告第213号で、東京より各府県への布令の到達日数が定められた(24)。東京府は布告後の翌日、神奈川県は3日、埼玉県は4日。最も遅く到達する宮崎県は21日が期限として公布された。

各府県は、この期限に基づき、新政府が次々に公布する布告類を、管内に点在する戸長役場へ届け、人民すべてに周知しなければならなかった。

既述のとおり、明冶6年5月から信書の送達が政府専掌となり、郵便犯罪罰則規定が制定された。しかし、この時期の郵便取扱所の設置数では、地方管内の隅々まで存在する村落の戸長役場まで定められた公布期限内に公用書状を届ける体制を整えることができなかった。

そのため、罰則規定第13条において、公用の諸官状、公状、公訴の書状は、駅逓頭の独任する権から除外された(25)。つまり、自府県管内の公用書状の大半は、各府県が独自に送達しなければならなかったのである。

地方管内の公用通信は、その送達対象地域が管内全域となるため、各府県においては管内のみの公用通信網を再構築せざるを得なかった。その際、新しい地方管内の公用通信網作りの手本となったのが中央政府の郵便制度であった。

創業期の郵便制度は官民平等という近代郵便制度の精神を盛り込みつつ、逓送方法は従来の駅制を母体としたものであり、助郷など義務的役務を廃し、利用者は官民とも平等にその経費を支払うというものであった。郵便創業と期を一にする廃藩置県後、誕生した多くの県がそれぞれ管内の公用通信制度を整備することになる。しかし、地域によって旧藩の公用通信制度が利用できる高知などの地域と、行政単位がめまぐるしく変化した千葉、埼玉などとは若干様相が違っていた。

―――

(17)明治9年4月18日(太政官布告第53号)と8月21日(太政官布告第112号)の2度にわたって再び全国的な府県統合が行われ、府県は38にまで整理された。(『法令全書』明治9年、43頁、151-152頁。
(18)郡区町村編制法(明治11年7月22日太政官布告第17号)(『法令全書』明治11年、11-12頁)府県会規則(明治11年7月22日太政官布告第18号)(『法令全書』明治11年、12-16頁)地方税規則(明治11年7月22日太政官布告第19号)(『法令全書』明治11年、16-18頁)
(19)『千葉県印旛郡誌』巻1巻2(大正2)、『武蔵国郡村誌』(明治9年)(埼玉県立文書館所蔵)に掲載されている各村史において、民選戸長の自宅を戸長役場としていることが分かる。
(20)明治4年11月20日大蔵省達第100号(『法令全書』明治4年、580頁)。阿部昭夫『記番印の研究−近代郵便の形成過程』名著出版、1994年、29-30頁。受け手側の岩手県の文書には「明治4年11月12日、常盤橋御門内松平正四位私邸に各県出張所設けられ候に付一関県出張所引移の儀申入」とある(岩手県『官省御達同願伺府県掛合』岩手県永年保存文書目録(65C2121816)http://www.pref.iwate.jp/jouhoukoukai/ippan/007287.html)
(21)明治5年10月駅逓寮達(農商務省駅逓局編『駅逓明鑑』巻十一第十四篇郵便ノ部ノ二其三、41-42頁)。駅逓明鑑とは、明治15年に農商務省駅逓局において編纂された史書で、明治元年から明治5年までの駅逓に関する決議文書が網羅されている。郵政博物館蔵。
(22)「明治8年東京出張所廃止一件書類」『府県往復規程』(埼玉県行政文書明197)、埼玉県立文書館蔵所蔵。
(23)大蔵省達第33号、第51号『外編大蔵省沿革史駅逓寮第一、第二』駅逓寮第二、5頁、13頁。
(24)太政官布告第213号(『法令全書』明治6年、296-299頁)
(25)明治6年3月太政官布告第97号「郵便犯罪罰則」(『法令全書』明治6年、128頁)
(26)「高知県史料3」『府県史料』内閣文庫(郵政博物館府県史料マイクロ複写本)。

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