論文 幕末・明治初期における公用通信制度(6)

井上 卓朗(いのうえ・たくろう)
「月刊 たんぶるぽすと」Vol.51-2021

(*著者・株式会社鳴美・資料所蔵館の厚意により転載の許諾をいただきました。メイン写真は高知県仁淀川。サイト管理人)

(4)高知県での事例

土佐藩では公用文書送達のための村送り制度が存在していたが、廃藩置県後の明治5年6月、高知県としての新たな通信制度「駅逓法」を制定した(26)。この法は、諸官員旅行規則、諸官員旅行従者定、人足割制限、旅籠料人足賃之定、荷物貫目定并改所規則、公私文書往来規則、渡場規則、諸往還里数并駅場定からなり、その中の公私文書往来規則に郵便を模した「村送り切手」の詳細が記載されている。

香宗我部秀雄の『土佐の村送り切手』によると、県内駅逓は県庁逓運係が管轄した(明治6年4月からは県庁庶務課が管轄する)。従来の送番所を「駅場」と改称し、送番頭を「駅逓係」と改称した。駅場では、東海道筋の陸運会社に準じ、公私に拘らず定額料金で物貨を取り扱った。逓送も農民の夫役による村継を止めて、金銭で逓送人を雇い入れ、駅場費用は、県庁租税課へ申し出ることで逓運係(後には庶務課)から支払われた。この費用は「県内総村割り」として県民に割り当てられている。明治7年になると、陸運元会社の支配を受けた陸運係(駅場の駅逓係の家族などがこの役を勤めた。)が人足手配業務を行った(27) 。

土佐の村送りは土佐藩公用状送達の制度であったが、高知県の新制度では郵便と同じく公私とも同様の取扱いであり、公用状にも私信にも、県が発行する村送り切手が使用された。私用の切手料金は距離制であり、県内各地で購入することができた(28) 。

郵便の全国実施とほぼ同時期に、県内の公用通信制度を民間に解放し、切手と思しきものまで発行したこの制度は、まさに郵便に準拠して考えられた制度といえる。

(5)埼玉県の事例

阿部昭夫の『記番印の研究』によると、埼玉県の前身である浦和県では、明治3年6月に駅逓掛を置き、職員1人を専任するとともに、同年から翌4年にかけて管内の戸長クラスの者3人(県南部の板橋宿の名主頭取で戸長の豊田喜平治、大宮宿の名主で本陣の山崎喜左衛門、県北部の上尾宿戸長の山崎代次郎)を駅逓掛として、公用状の送達ルートを開拓させ、公状往復に従事させた(29) 。

この制度では「郵便記」という朱印を押した切手のようなものが使われた。現存する書状は、浦和県庁司農局から桶川組合会所役人宛てに、浦和から桶川に運ばれた封書で、封書の左上に「郵便記」と朱印を押した小紙片が貼付され、「辛未三月廿三日、割合賃銀四匁也」と料金が書き込まれている。

阿部は「これは、ひとり浦和県・埼玉県のみでなく、またいくつかすでに知られている北條県や岡山県の管内郵伝制度、山形県の公私伝達制度、高知県の村送り制度、鹿児島県の郷継制度などだけでなく、各県とも県内の逓送方法が当時必要不可欠なものであった筈だと考えれば、版籍奉還後のすべての府県でほぼ似通った逓送方法が形成され、それが近代郵便に移行していくものと考えられる。」と述べている(30) 。

(6)北條県、岡山県の事例

北條県は美作国を領域とする県で、明治9年に岡山県と合併している。山﨑好是の『不統一印Ⅲ』によると、明治5年4月1日、北條県は、県庁のある津山を管内郵傳取扱元方とし、これを起点に管内24ケ所に郵傳取次所を設置し、管内の公用書状の送達を開始している(31) 。

山陽道における美作国津山に郵便取扱所が設置されたのは明治5年1月4日であるが、岡山・津山間の郵便線路が開通したのみであったため、管内の郵便による公文送達はこの時点では実施できなかった。

岡山県では、明治10年御用帖定使定則並線路表(32) を制定し、定使による公状送達を開始したが、明治11年4月に定使の巡回の方法を改正している。

この管内御用状定使定則は全18条からなるもので、各区戸長へ岡山県乙業80号をもって告達している。この定則から、定使による公状送達の詳細がわかるので、その内容を条目ごとに概略を記載する。

第1条 岡山県内の管内定使線路を6ブロックに分割して行なうこと。
第2条 休日・祭日の取り扱いに関すること。
第3条 定使の賃金は官費支出すること。
第4条 御用状配達の有無にかかわらず必ず区務所へ立ち寄ること。
第5条 区務所に立ち寄った際は必ず県庁その外への御用状、進達状等を持ち帰り配達すること。
第6条 送達の書帖は県庁各課、警察署、裁判所、各区務所の名前等公用であることを明文したものであること。若し私用の書状がある場合は郵便規則に抵触するので、私用の送達は許可しないこと。
第7条 金額が5円以下の上納金は上納証等とともに送達することができる。県庁からの下付金もこれに準じて送付する。但し、盗難遺失の際は請負人が弁償することになるので、相当の抵当品を県庁に取置くこと。
第8条 定使請負人は県庁近傍に詰めておき、日々用便を行なうこと。手数料は定使賃銭の内より10分の1以内とすること。
第9条 県庁各課は御用帖差出目録を作成し宛名所付月日を明記し、書帖とともに受付科へ廻すこと。受付科においては請負人へ御用状等を渡すときに受取の証印を取ること。
第10条 請負人も用録帖へ明記し、各線路配達帖にも記載し、御用帖とともに定使に渡し、定使は各区務所其の外の配達の際配達帖へ受取の証印を取ること。但し御用の有無にかかわらず往返とも線路区務所へ立寄り、その証として配達帖へ月日時刻を記し当直の証印を受けること。
第11条 各区務所より御用状等を受け取ったときも配達帖へ記載し、県庁受付科其の外にて受取の証印を受けること。
第12条 非常大至急の御用帖は遅滞なく差立て届け先において時刻等を記した証印を受け取り、それを差し出すこと。遅滞した場合、又は受取書がない場合は別仕立ての効がないものとし、増賃銭は支給しないこと。
第13条 定使は各線路専用として他の線路と兼用してはならない。若し他の線路のものを差し立てた場合は直ちに差し戻すこととすること。
第14条 各警察署、区務所へ定使が到着した場合、その受け渡し時間は30分以内とすること。その時間内に差立てできない場合は翌日へ回すこと。
第15条 定式公用送達は封帖および諸願伺届書に限ること。その他の諸布達、諸帳簿、地券鑑札等の類は一区務所量目百匁に付里程1里の賃金1厘と定め別途に支払うこととする。百匁未満の量目は刎捨て百匁以上の端量目は四捨五入とする。
第16条 量目に応じた別途支払いの賃金は、県庁差立の分は官費、各区務所差立の分は区費とし1ヶ月分ずつ計算し請負人へ下げ渡すものとする。
第17条 量目によって差し立てる分は一区務所分ごとに配達簿へ量目を登記し、県庁は受付において押印し定使へ渡すこと。
第18条 定使は荷造りの都合により送達書類の緩急を計って翌日に回すこと。

この定則は区務所など大区・小区制に対応する内容となっているが、同年7月に郡区町村編制法が施行され大幅に行政区画が変更となったため、11月に各区務所を郡区役所に変更し、線路を6コースから7コースに変更した新たな定使線路里程表を作成している(33) 。

 

―――

(26)「高知県史料3」『府県史料』内閣文庫(郵政博物館府県史料マイクロ複写本)
(27)香宗我部秀雄『土佐の村送り切手』鳴美、平成21年、7-10頁。
(28)香宗我部、前掲書、74-80頁。
(29)阿部、前掲書、32-33頁。
(30)阿部、前掲書、34頁。
(31)山﨑好是『不統一印Ⅲ』、鳴美、平成13年、38頁。藤村潤一郎「翻刻飛脚関係史料(4)163美作国中郵伝賃銭表」『創価大学人文論集』第6号、平成6年。
(32)「岡山県史料 21駅逓」『府県史料』内閣文庫(郵政博物館府県史料マイクロ複写本)。
(参考)府県史料は太政官正院歴史課(歴史課は明治8年修史局、明治10年修史館と改名)が編纂。各府県ごとに太政官に提出。修史館から内閣記録局、内閣書記官室記録課を経て、大正3年内閣文庫に移管。明治7年に太政官達第147号で各府県に立庁から明治7年末までの沿革の編集を命じた。その後も続けて編集が命じられ、ほぼ明治18年まで続けられた。1道3府41県計45道府県が収録されている(香川は当時愛媛、徳島に分属、沖縄県はなし)。明治9年の例示では、政治部(県治・拓地・勧農・工業・刑賞・賑恤・祭典・戸口・民族・学校・駅逓・警保・忠孝節義・騒擾事変)と制度部(租法・職制・禄制・兵制・刑法・禁令・会計)の二部に大分けされ、附録として図書目録・碑文銘辞等・官員履歴の構成が示された。その構成は府県によって不統一があり、記述・編修に精粗の差がある(国立国会図書館リサーチ・ナビ府県史料解説を引用)。
(33)「岡山県史料 21駅逓」『府県史料』内閣文庫(郵政博物館府県史料マイクロ複写本)。

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