日付印の大改正
明治21年9月、全国の郵便局で新しく統一された日付印を一斉に使い始めました。この「丸一印」と呼ばれる日付印は抹消も兼ね、東京などは明治33年末、その他の一・二等局は明治38年末、三等局は明治42年末まで、それぞれ使用されました。
その型式は、円の真中より少し上を横線で二分し、上半分の上に国名、下に局名、下半分の第1列目に年・月、2列目に日、3列目に便号を配置するものです。これ以降の日付印はすべて年号を表示するので、郵便物の年代は容易に特定できます。
便号・便号無しとは
便号とは郵便物の取集め順のことで、丸一印の最下段にイ便・ロ便・ハ便などと表示されます。市内集配が1日1度の局はこの欄が空欄となります。明治24年10月、集配等級規定の改定により、市内集配一度の局はなくなって、便号空欄の丸一印も姿を消しています。
櫛型印への切替
先述のとおり、三等局では明治42年末まで丸一印が使用されました。大多数を占める3等局で櫛型印への移行が遅れたのは、日露戦争に伴う鉄材の逼迫がありました。丸一印は木、櫛型印は鉄でできています。
文:近辻喜一(ちかつじ・きいち)
郵便史研究会会長。『新版・明治郵便局名録』(鳴美、2015年)校訂者として知られ、一般の方にも親しみやすい郵便史の解説で定評がある。多摩地域を中心とする郷土史研究者としての顔も持つ。