丸の内における東京中央郵便局局舎の変遷|吉田鉄郎(関連)

短命に終わった丸の内における初代局舎

大正6(1917)年完成の東京中央郵便局が丸の内における最初の東京中央郵便局です。当時の住所は麹町区八重洲町二丁目、敷地総面積3,563坪(11,779㎡)、建坪855坪(2,836㎡)、木造一部二階建て、外部両煉瓦化粧の瀟洒な建物でした。

この局舎は、大正3(1914)年に建築が開始され、大正5(1916)年12月には消火栓、拾水栓、下水、土管埋設等の工事を終え、翌年1月30日に局舎及び付属舎が完成しています。同年3月には電燈設、電報昇降器、私書箱等の設備工事も完了し、同月18日に銭瓶町にあった小包分室が局内に移転、厩舎課及び小包郵便行嚢掛を除き、同月31日に全て新庁舎に移転を完了しました。また、本工事と同時に同敷地の一部に建設された元東京鉄道郵便局派出所についても模様替と2階の増設を行い分館としました。この移転に伴い、当敷地にあった丸ノ内郵便局(二等)は廃止され、移転した東京中央郵便局が大正6(1917)年4月1日より業務を継承、同時に丸ノ内郵便局東京駅内分室が東京中央郵便局分室となりました。

残念ながら、この新局舎は、完成後間もない大正11(1922)年1月4日、本館小包課東海道線差立区分室天井付近から発火し、焼失してしまいました。火災の原因は漏電であったといいます。

大正6年の東京中央郵便局

大正6年の東京中央郵便局(写真提供:郵政博物館)

日本における近代主義建築の扉を開いた新局舎

新局舎の設計は、局舎焼失後すぐに開始され、大正12(1923)年8月にはその設計図がほぼ完成していました。ところが、同年9月1日に関東大震災が発生したため、その設計は大幅な見直しが迫られることとなりました。そのため、新たに予算を組み直して再度設計を開始、昭和2(1927)年から基礎工事に着手、昭和4(1929)年8月には局舎工事が開始されました。そして、昭和6(1931)年12月には新局舎が竣工、昭和8(1933)年12月1日には開局披露式が行われ、同月6日から新装となった局舎において業務が開始されました。

商業施設KITTE

東京中央郵便局の外壁を利用した商業施設KITTE

設計は逓信省技師の吉田鉄郎、敷地総面積3,554.38坪(11,750㎡)、総建坪11,034.93坪(36,479.11㎡)、SRC(鉄骨鉄筋コンクリート)構造、外部白偽石タイル張り、地下1階、地上5階、丸の内の一区画を占める巨大ビルではありましたが、白い箱のようなシンプルな装いの建物でした。

『東京中央郵便局沿革史草稿』では「無意味なる装飾を省き、純白の壁面と純黒の枠を持つ大窓との対照によりて、明快にして清楚なる現代建築美を求めることに苦心せり」と表現されています。洋風建築の極致とも言える東京駅の姿とは実に対照的でありますが、当時としては機能、構造、デザインとも世界最高水準の超近代的なビルでした。

東京駅舎と東京中央中央郵便局の対比が美しい東京駅(丸の内側)

東京駅舎と東京中央中央郵便局の対比が美しい東京駅(丸の内側)

*本稿に関する詳しい情報は、井上卓朗「研究ノート 東京中央郵便局沿革史 日本初の地下電車―郵便物搬送用地下軌道― 」(逓信総合博物館研究紀要 第4号(2013年3月) )を参照ください。本サイト関連記事はこちら
*井上卓朗氏の過去の論文・単行本などから一般向けの内容にリライトしたものです。本サイトの管理人が原著者監修の下、採録させていただいています。

井上卓朗さん近景文:井上 卓朗(いのうえ・たくろう)
郵便史研究会理事・学芸員(郵便史)。1978年郵政省へ入省、1983年逓信総合博物館に異動し、郵政三事業、電気通信事業に関する学芸業務に従事。2012年主席資料研究員、2016年郵政博物館館長などを歴任した。在職中は「ボストン美術館所蔵ローダー・コレクション展」などの企画を担当した。

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