旧赤間関・旧京都郵便電信局の設計者|三橋四郎

古典主義時代の逓信省技師

三橋四郎は慶應3年(1867)に生まれ、明治26年に東京大学工科大学造家学科を卒業し、当初は陸軍に入りました。明治31年9月1日、逓信省技師に任じられ、約5年間の在職期間中に、10歳上の吉井茂則とともに逓信省の主要な建築の設計にあたりました。赤間関郵便電信局、京都郵便電信局(吉井と共同)などがよく知られます。逓信省退官後は明治37年2月に『和洋改良大建築学・上巻」(大倉書店)を出版し、東京市技師に就きました。その後は外務省の委嘱で満州各地の領事館の設計に携わりましたが、大正4年ウラジオストックの領事館の監督中に客死しています(享年48歳)。

明治32年に設計した赤間関郵便電信局

赤間関郵便電信局は明治33年5月に完成しました。三橋にとって入省2年目の明治32年前半の設計で、同時期に設計した広島電話交換局(現存せず)とは外観の共通点も多いようです。なお、赤間関市を改めて、下関市になったのは明治35年6月1日のことです。文化財としての登録名は旧下関郵便電信局ではなく、設置時点の名称を採用しており、旧赤間関郵便電信局となっています。

下関南部町郵便局(旧赤間関郵便局舎)の現在

旧赤間関郵便電信局は1階が郵便で、2階は電信に使っていました。現在は1階の一部で下関南部町郵便局の局舎として利用しています。そのため、現役最古の郵便局舎として紹介されています。下関の観光ガイドなどをみると、下関市内に現存する最古の洋風建築とも説明されています。1階の他の部分はカフェ兼イベントスペースとなっていて、結婚式やコンサートの会場などに活用されており、菊切手や田沢型切手が使われていた時代の雰囲気を楽しむことができます。

 

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