資料紹介 郵政資料館所蔵資料概要
井上卓朗
郵政資料館 研究紀要 創刊号(2010年3月)
主な収蔵資料
所蔵資料を内容別に見ると、①郵政事業(郵便・貯金・保険)関係資料、②郵便創業以前の通信・交通等に関する資料、③電気通信等に関する資料④電気・管船・灯台・航空・鉄道等に関連する資料⑤美術資料に大別される。
⑴ 郵政事業関係資料
こちらのページを参照。
⑵ 郵便創業以前の通信・交通等に関する資料
郵政資料館では、郵便創業以前の通信に関する資料は、通信と相互に関連する交通関係資料とあわせて「駅逓資料」と称している。「駅逓資料」に含まれる時代やものは広範囲だが、主として江戸時代の飛脚関係資料、旅に関する資料、宿駅に関する資料となっている。「郵政資料館は通信(郵便)の博物館なのになぜ江戸時代の街道や宿駅など交通関係資料を所蔵しているのか」という疑問を持たれる方が多い。
この答えとしては、①駅逓司、駅逓寮、逓信省は、通信だけでなく交通分野についても所掌していたため、有史以来からの通信・交通の歴史調査を行い、資料を収集したこと、②駅逓司は、道中奉行所の系譜を引く役所であったため、江戸幕府の街道や宿駅などの資料の一部をそのまま道中奉行所から引き継いだため、③創業時の郵便制度は江戸時代の交通(宿駅)制度をそのまま利用した部分が多く、宿駅の本陣、問屋が明治期に郵便取扱所となっているため、江戸期から明治期にかけての宿駅資料を連続的に収集したこと、④前述の樋畑雪湖が、東海道交通資料展等の展覧会を開催して、さまざまな通信・交通関係の実物資料、錦絵などを積極的に収集したこと、などが挙げられる。この分野の代表的な所蔵資料としては、「駅逓志料」がある。また、珍しい資料として、まぼろしの絵巻である東海道絵巻を写した「東海道絵巻」写真資料がある。その概要は次のとおりである。
⒜ 駅逓志料
日本の交通・通信の歴史書「駅逓志稿」(大日本帝国駅逓志稿・同考証)を編纂するために、駅逓寮が調査し収集したもので、約370冊に及ぶ一連の図書である。この中には、「五街道宿村大概帳」、「五街道取締書物類寄」、「御伝馬方旧記」、「定飛脚問屋仲間仕法帳」、「五駅弁覧」、「島屋佐右衛門家声録」など江戸時代の交通・通信に関する貴重な資料が含まれており、これらの一部は、学習院大学名誉教授の児玉幸多氏の編集で吉川弘文館から「近世交通史料集」(25)として公刊されている。
中でも「宿村大概帳」(26)(図4)は、幕府の道中奉行所が天保より安政年代(1830~50年代)にかけて調査した五街道とその脇街道の宿駅の記録で53冊が収蔵されている。各宿駅の人口、戸数、本陣、旅篭の数、高札の内容、道路の広さ、橋、寺社、地域の産業、特産品など宿駅と街道筋の村落の状況が記載されており、次に紹介する「五街道分間延絵図」と併せて道中奉行所が使用したと考えられる。五街道の全宿駅を同時期に調査した記録として現存するのは本書だけであり、近世史研究に欠かせない貴重な資料となっている。
この宿村大概帳と同様に、幕府道中奉行所が使用していたものとして、「五街道其外分間見取延絵図」(27)(図5)がある。江戸幕府の道中奉行所が、寛政年中に幕府の命を承け製作にあたり、1800分の1の縮尺で描いたもので文化3年(1806)に完成した。この絵図は全部で3部が作成され、1部が将軍献上品として江戸城内に、2部が道中奉行所に置かれた。現在、東京国立博物館と郵政資料館がそれぞれ1部所蔵している。この絵図には、宿場、寺社、旧跡、一里塚、高札場、橋など街道の様子が詳細に記入されており、行政上必要な内容がすぐに分かるようになっている。郵政資料館所蔵本は、折本仕立てで92冊あり、東海道、中山道、甲州道中、日光道中、奥州道中の五街道とその脇街道が描かれている。そのうち、日光御山内見取絵図控、本坂道分間延絵図控、箱根湯治場見取絵図控、信州松本道見取絵図控の4点については郵政資料館のみに現存している。東京国立博物館所蔵のものは江戸城内(おそらく紅葉山文庫)にあったもので、91の巻子仕立てとなっている。
⒝ 「東海道絵巻」写真資料(28)(図6)
東海道絵巻は、江戸時代中期に幕府の要職を務めた秋元喬知の遺品として旧子爵の秋元家が所蔵していたものであるが、大正12年(1923)の関東大震災により焼失してしまった。東京大学史料編纂所が模写絵を作成していたが巻頭の部分のみであったため、その全貌を知ることはできなかった。ところが、郵政資料館で江戸時代の通信制度に関する調査研究を行った際に、この東海道絵巻全編を撮影した写真帳を発見し、デジタル画像処理による精密な修復を行った結果、平成9年(1997)この絵巻の完全な姿をよみがえらせることに成功した。
この絵巻には、江戸から京都までの神社仏閣、城郭、名所旧跡、河川、橋など東海道沿いの風景が詳細に描かれており、街道を行き来する旅人の姿や街道沿いに生活する人々の日常生活の様子に至るまで見ることができる。地域別にみると、江戸から品川までが5場面、大津から京都までが8場面で、両京から最初の宿場までが特に詳しく描かれている。また江戸から10番目の箱根宿までが16場面なのに対し、京都から10番目の石薬師までが24場面となっており、関東よりも関西方面がより多く描かれている。
「東海道分間絵図」(元禄3年(1690))、「道中記」(天明6年(1786))、「東海道名所図会」(寛政9年(1797))などの原型といえるほど街道の情報は豊富で、地名だけでなく戦国時代の城跡や故事伝説に関連した名所旧跡の記述も多い。
江戸城、二条城を含む城郭、関所、要害となる河川、各宿駅の状況、里程、それに将軍の宿泊施設である御殿が詳しく描かれているため、老中である秋元喬知が街道の重要事項を絵巻にして残したとも考えられなくはないが、制作目的は、鑑賞用として、その当時旅する人が増え脚光を浴び始めていた東海道の様子を描かせたものと考えられる。
この絵巻は、いわば「洛中洛外図」や「江戸図屏風」の東海道版といえるのではないか。街道のさまざまな事象が細かく具体的に描かれ、登場する人物の表情も豊かであり、もし、現存していれば、美術的にも高い評価が与えられたと想像できる。
⑶ 電気通信等に関連する資料
郵政資料館が黎明期の電気通信の貴重な資料を所蔵するに至った一因として、明治32年(1899)に電気試験所所長浅野応輔氏が、黎明期の電信・電話に関する資料を後世に残すため、同所が所蔵していた電気通信に関連する機器類を郵政資料館の前身に当たる逓信省郵務局計理課物品掛の参考品陳列所に移管したことが挙げられる。
江戸時代の電気通信関連資料としては、「平賀源内のエレキテル」、「シーボルト所有の電気治療器一式」、「佐久間象山の電気関係資料」がある。佐久間象山は電流として流れる動電気を日本で最初に研究し、嘉永2年(1849)に電信機の実験を行ったとされている。その根拠のひとつが当館所蔵の「佐久間象山の絹巻銅線」、U字形の永久磁石に糸巻銅線を巻いた「佐久間象山の永久磁石」である。安政3年(1856)「地震計」は、永久磁石に付着した鉄片が落下して地震を知らせる仕組みであったと言われている。この他にも、ボルタの電池を使った「佐久間象山自製の電気治療器」がある。初期の電信関係資料としては、「ペリー提督献上のエンボッシング・モールス電信機」、「ブレゲ指字電信機」、「榎本武揚のディニエ印字電信機」、オーストリア政府より明治天皇に献上され初のモールス電信実用機となった「エンボッサー・モールス電信機」(2座)、「アーリンコート生写伝信機」(フランスのアーリンコート社製)、鉄道電信用としてイギリスより購入し、明治5年、東京横浜間に初めて鉄道が開通した時に使用した「単針式電信機」、長崎線開通時の「シーメンス・モールス印字電信機」(イギリス製)、警察で使われた「ABC電信機」(ヘンリー社製 電磁誘導式指字電信機)、「大北電信会社電信機」(St. N. T. Ss. FABRIK)などがある。
「平賀源内のエレキテル」、「ペリー提督献上のエンボッシング・モールス電信機」、「ブレゲ指字電信機」の3点は国の重要文化財に指定されており、概要は次のとおりである。

⒜ 平賀源内のエレキテル(図7)(29)
平賀源内が製作した摩擦起電機で、我が国で最も古い電気関連の機械と言われている。箱の横に付いた取手を回すことで内部のガラス瓶を回転させ、金属箔との摩擦を起こし、静電気を発生させる。
エレキテルは電気ショックを利用した医療器具としてオランダから伝えられたが、日本では発電の見世物として評判を呼んだ。平成9年(1997)6月に、国の重要文化財に指定されている。

⒝ ペリー提督献上のエンボッシング・モールス電信機(図8)(30)
安政元年(1854)、日米和親条約締結のために2回目の来日を果たした米国遣日使節のペリー提督が、米国大統領フィルモアから将軍家定への贈答品の一つとして持参したエンボス式(インクを使わず凹凸によってモールス符号をテープに記録する方式)のモールス電信機(2台)で、外箱中央のプレートには「For the Emperor of Japan」と彫刻してある。
ペリーは、この電信機2台と電線や電池など装置一式を持参しており、横浜の応接所から約1マイルの間に電線を架し、通信実験を行ったとされている。しかし、「ペリーの電信実験はアースして行ったために、電信線1マイル(約1,609m)のうち、使用したのはその半分の約800mであり、地図上で計測しても両地間は約800mである。」と若井登氏(31)は主張している。この電信機は明治維新により新政府が接収し、東京帝国大学の所蔵を経て、明治43年(1910)に逓信博物館の所蔵となっている。この電信機は、エレキテルと同じく平成9年(1997)6月に、国の重要文化財に指定された。

⒞ ブレゲ指字電信機(図9)
我が国初の公衆電信事業開始時に使用された電信機である。東京の築地運上所と横浜裁判所に伝信機役所が設けられ、明治2年9月19日(1869年10月23日)に横浜から架線工事が始められた。この日が電信電話記念日となっている。その約3ヶ月後の明治2年12月25日(1870年1月26日)に、初の公衆電信事業が開始された。このとき使用された電信機は、訓練を受けた電信士を必要とするモールス式電信機ではなく、操作方法の簡単なフランス製のブレゲ指字電信機であった。
送信者は、まずハンドルを時計方向に回して受信者側のベルを鳴らし、送信開始を合図する。それを受けた受信者は、同じ様に送信機のハンドルを回して送信者側のベルを鳴らし、受信の態勢に入ったことを知らせる。送信者は円形の文字盤のハンドルをゆっくり回して、送りたい文字の上に止める。すると断続信号が送られ、受信機の針は回転して同じ文字の位置で止まる。この文字を読み取り、通信を行うが、送信スピードは1分間に5、6文字程度であった。
郵政資料館所蔵のブレゲ指字電信機(送信機1台、受信機2台、携帯型1台)は、その当時使用されていたもので、平成14年(2002)6月、全機とも国の重要文化財に指定された(32)。
⑷ 電気・管船・灯台・航空・鉄道等に関連する資料
逓信省所管の電気・管船・灯台・航空・鉄道等に関連する実物資料は、その大半は上記のとおり他官庁に移管されたため残っていない。しかし、図書資料、写真資料は移管されず、そのまま残されたために、約1,800点が現在も郵政資料館に所蔵されている。
資料としては次のようなものがある。
電気
電気事業要覧、発電力地点要覧、電力国策に関する資料、電力評價審査委員会議事録、電灯事業創始時代の発電機写真、アレキサンダーソン式高周波発電機写真、東京放送局発電室写真、銀座電話局発電室写真
管船・灯台
航路標識便覧表、海事摘要(大正13年~昭和4年)、灯台要覧、日本灯台表、工部統計志(灯台)、日本海運図史、各種船舶写真、各種灯台写真
航空・鉄道
航空年鑑、航空統計年報、主要各国民間航空輸送事業概要、中央航空乗員養成所写真、各種航空機写真、日本鉄道会社創立規則草稿、鉄道院所管線路図、鉄道布告、各線鉄道線路図
⑸ 美術資料
郵政事業の長い歴史の中で、さまざまな理由から絵画が制作され、郵政資料館に所蔵されている。その代表的なものが切手・はがき類の原画である。また、郵便事業だけでなく郵便貯金事業、簡易保険事業においても周知用ポスター、奨励用扇子などが作成され、その原画が保存されている。また、郵政が発行した機関誌『郵政』の表紙原画も約450点が残されている。
これらの作品の作者には、黒田清輝、横山大観、川端龍子、上村松園、藤田嗣治、宮本三郎など日本画、西洋画の巨匠と呼ばれる画家が数多く含まれているが、一般の美術研究者にはその存在がほとんど知られておらず、作者の作品リストにも含まれていないケースが多い。
また、江戸時代の文読み、状箱、飛脚に関する通信関係錦絵、北斎、広重等の交通関係錦絵や絵地図、絵巻物、明治初期を中心とした錦絵(33)、郵便作業を描いた「郵便取扱の図」、「郵便現業絵巻」などの絵巻(34)が所蔵されている。「切手・はがき原画」(35)、「簡易保険扇子原画」(36)の作者、作品等については、表2、表3のとおりである。(36)
今後の資料調査と資料収集
平成20年(2008)10月、「郵政資料館の所蔵資料を活用した郵政の歴史・文化に関する研究会(郵政歴史文化研究会)」が郵政資料館に発足した。この研究会は「郵政資料館の対外的な情報発信力の強化や社会貢献活動の拡大を図るため、郵政資料館の所蔵資料を活用して研究を行うとともに、その過程で得られた所蔵資料の活用、研究成果の公表方法、活用方法を検討する」ことを目的としており、親委員会の下に次の5つの分科会の研究と1つの個別研究が行われている。

分科会では、それぞれのテーマに関係する郵政資料館所蔵資料の調査・研究を行うほか、館外にある関連資料についても調査を行い、比較研究を行っている。今後は、この研究会の活動を中心とした資料調査と資料収集を行っていく予定である。
おわりに
郵政資料館所蔵資料は、資料の分野が多岐に渡るため統一的な分類が難しく、郵政資料館独自の分類を行っているが、研究者が専門分野での研究等で資料調査を行う場合に検索し難い面がある。また、郵政資料館の歴史的経緯から分類の混乱、資料名称付定の不統一性等の問題が発生している。
これらの問題を解決していくには、まず、分野別に一般的に標準化された分類方法がある場合には、それを採用していく必要がある。また、すべての資料の内容を1点ずつ再評価し、それに基づいて分類、資料名の修正を行っていく必要がある。そのためには、長期的な資料調査と分野別の専門家のアドバイスが必要となってくる。
郵政資料館の「郵政歴史文化研究会」は、この役割を担うとともに、郵政資料館の所蔵する膨大な文化遺産を学術的に再評価し、その歴史的、文化的価値を再発見していく予定である。郵政資料館としてはその成果を特別展や出版、インターネット等を通じて広く社会に公開する活動を行っていきたい。
25 児玉幸多校訂『近世交通史料集1~10』(吉川弘文館、1967~1980)。
26 児玉幸多「解説」(『近世交通史料集』4 東海道宿村大概帳、吉川弘文館、1970)、福井保「209 宿村大概帳」(『江戸幕府編纂物 解説編』雄松堂出版、1983)
27 児玉幸多監修『東海道分間延絵図 解説』(東京美術、1977)、本田隆成「「東海道分間延絵図」作成の基礎調査」(『東海道交通史の研究』、静岡県地域史研究会、1996)、樋口秀雄「江戸から東京へ五街道分間延絵図と大概書をめぐって〈1〉〈2〉」(『五街道』3号・5号、東京美術、1978)、『五街道』編集部「絵図編修の背景とその伝来①②③」(『五街道』11~13号、東京美術、1978)、福井保「143五街道其外分間見取延絵図」(『江戸幕府編纂物解説編』雄松堂出版、1983)。
28 樋畑雪湖『江戸時代の交通文化』(刀江書院、1931)、井上卓朗「江戸時代の東海道における通信と交通について」(『郵政研究所10周年記念論文集』(1998))、同「よみがえった東海道絵巻の世界」(第12回郵政研究所研究発表会 郵政文化セッション、2000)、山本光正『街道絵図の成立と展開』(臨川書店、2006)。
29 樋畑雪湖『江戸時代の交通文化』(刀江書院、1931)、若井登・井上恵子「平賀源内の「エレキテル」と機能模型による静電気実験」(第14回郵政研究所研究発表会 郵政文化セッション①、2002)、井上恵子「ゑれきてる考証」(『郵政研究所月報』郵政省郵政研究所、2002)。
30 樋畑雪湖『江戸時代の交通文化』(刀江書院、1931)、井上恵子「ペリー提督が献上した「エンボッシング・モールス電信機」(複製機)の機能改造と通信気実験」(第13回郵政研究所研究発表会 郵政文化セッション①、2001)。
31「The 6th International symposium on Wireless Multimedia Communications」における発表(2003)。
32 「ブレゲ電信機の修理復元」(『共同研究報告書』郵政研究所附属資料館、2001)。
33 『近代郵便のあけぼの』(逓信総合博物館、1990)、『資料図録No.56:第一部 郵便錦絵展 明治の新しい風』(郵政資料館、2007)。
34 『日本郵便のあけぼの』(郵趣サービス社、2003)。
35 『展示図録:切手原画にみる日本の美』(逓信博物館、1987)、『展示図録:華麗なる日本画の世界』(郵政研究所附属資料館、1991)、『展示図録:ふみを彩る女流画家たち』(郵政研究所附属資料館、1991)、『資料図録No.58:第三部 切手原画展 ふみをかざるひとひらの美』(郵政資料館、2007)。
36 『簡易保険創業75周年記念扇子原画集 扇』(郵政省簡易保険局、1991)、『展示図録:華麗なる日本画の世界』(郵政研究所附属資料館、1991)、『展示図録:ふみを彩る女流画家たち』(郵政研究所附属資料館、1991)、『資料図録No.55:魅せられる扇面画の世界』(2005)、『資料図録No.57:第二部 扇子原画展 麗しく華ひらく』(郵政資料館、2007)。















