昭和24年(1949)の郵政省設立と現業機関の位置づけ
戦後復興が進む中、昭和24年(1949)6月、「郵政省設置法」に基づき逓信省が郵政省と電気通信省に分離されました。こうして誕生した郵政省は、旧逓信省の郵政事業部門を引き継ぎ、ほぼ同じ組織構造を維持しながら、効率的な郵便事業の運営と国民へのサービス向上を目指しました。
この分離の対象となったのは普通郵便局まででした。特定郵便局では郵政省に所属しながら、電信電話業務も委託形式で取り扱いが続けられることになりました。これは、特定郵便局が地域に密着した郵便サービスの提供と、公衆通信業務を支える重要な拠点であったためです。その後、昭和27年(1952)8月に電気通信省が電電公社に改組された後も、郵政省と電電公社の間で「公衆通信業務の委託に関する協定」が締結されました。
簡易郵便局の登場と特定郵便局の役割
特定郵便局は、全国の郵便局総数の中で大部分を占め、地域に密着した郵便サービスの提供を支える基盤として重要な役割を果たしました。その一方で、郵政省が設立された直後の昭和24年(1949)7月15日には、郵便サービスをより多くの地域で提供するため、「簡易郵便局法」(昭和24年法律第213号)が施行され、簡易郵便局制度が創設されました。この制度により、委託形式で郵政窓口事務を取り扱う簡易郵便局が設置され、地域住民に近い形での郵便サービスの提供が可能となりました。日本各地で昭和24年10月ないし11月以降、簡易郵便局が開局することになるのです。郵政省はこうした新しい制度を通じて、郵政窓口機関を全国に普及させることを目指しました。
労働運動が郵便局にも影響を与える
一方で、戦後の日本では労働運動が各地で活発化していました。郵便事業においても、全逓信従業員組合(全逓)が特定郵便局制度に対して強い関心を持っていました。特に昭和21年(1946)5月の第1回全国大会では、事業の民主化運動の一環として特定郵便局制度の撤廃を要求項目の一つとして掲げました。逓信省に対してもこの要求を行いましたが、逓信省は特定郵便局制度の全面的な撤廃には反対の立場を示しました。しかし、制度の中には現代の状況にそぐわない点もあると認め、その改善を進めることを約束しました。
特定郵便局制度の見直しと改革の進展
昭和32年(1957)以降、特定郵便局制度のさらなる見直しが進められることになりました。郵政事業全体の経営効率の向上とサービス改善を目的に、昭和32年(1957)5月28日の閣議決定に基づき、特定郵便局制度調査会が設置され、外部の意見を広く求める形で議論が行われました。この調査会は18回にわたる審議を経て、昭和33年(1958)1月、特定郵便局制度の存続を基本とする方針を答申しましたが、同時に、一定規模に達した特定郵便局については普通郵便局に改定することも提案されました。
また、特定郵便局の業務運営に関しても様々な改善が図られました。例えば、局長には女性の任用が可能とされ、給与制度も見直され、手当を一本化して一般の俸給水準に近づけるなどの改革が行われました。これにより、特定郵便局の運営はより透明で効率的なものとなり、地域社会へのサービス提供が強化されました。
戦後の郵便局の地位や設置方針、法的根拠に関するまとめ
このように、昭和24年(1949)の郵政省設立以降、「郵政省設置法」と「簡易郵便局法」の制定と、その後の一連の改革と見直しによって、特定郵便局制度は日本の郵便事業において重要な役割を果たしてきました。戦後の労働運動の影響や社会の変化に応じて、特定郵便局は地域に密着した郵便サービスの提供者としての役割を強化していきました。