和紙の生産と市川花火が盛んだった地域にある旧市川大門郵便局 2024.09.27 レトロ郵便局舎 旧市川大門郵便局の概要市川大門郵便局の局名にもなっている市川大門は甲府盆地の最南端に位置し、古くから交通と商業の要所として重要な役割を果たしてきました。山梨県南部、西八代郡にかつて存在した町で、現在は市川三郷町の一部となっています。地名の「市川」と「大門」は、地域の歴史と地理に深く根ざしています
林業がさかんだった山間部に現存するレトロ局舎|旧芦安郵便局 2024.07.30 レトロ郵便局舎 旧芦安郵便局の概要芦安村は山梨県中巨摩郡に位置していた村で、現在は南アルプス市の一部です。この地域は県の中央西端、郡の西端に位置し、主に山林から成り立っています。村域は北西から南東に長い帯状で、中央部にはフォッサマグナの断層が走っています。西部は富士川の支流である野呂川が、東部は御勅使川が流れ、
尖がった屋根が思わず目を引く旧早川郵便局 2024.05.17 レトロ郵便局舎 旧早川郵便局の概要早川郵便局は山梨県南巨摩郡早川町に位置する郵便局です。早川町は静岡県と接する山梨県の南西端にあります。この町は、南アルプスの赤石山脈に囲まれた豊かな自然環境を持ち、日本で最も人口が少ない町の一つとしても知られています。旧早川郵便局の詳細情報早川郵便局の沿革は、明
南アルプスの山々に囲まれた硯島郵便局 2024.05.14 レトロ郵便局舎 硯島郵便局の概要硯島(すずりしま)村は山梨県南巨摩郡にあった村で、現在の早川町大島・雨畑にあたります。昭和の大合併にあたる昭和31年9月30日に早川町に編入されました。早川町は町名の由来となっている町の中央を流れる早川を中心に、大小の滝や渓谷がある地域となっています。ここにレトロな雰囲気の硯島郵
山梨市の山間にある集落に佇む西保簡易郵便局 2024.04.12 レトロ郵便局舎 西保簡易郵便局の概要西保簡易郵便局の局名として残っている西保村(にしほむら)ですが、かつて山梨県東山梨郡に属していた村で、現在は山梨市の北西部、特に鼓川・琴川上流域に位置します。明治時代初期の明治8年(1875)1月に山梨郡の牧平村、西保北原村、西保中村が統合し、西保村が成立しました。地理的には
山梨県内唯一の戦前からの現役局舎―五開簡易郵便局 2024.02.20 レトロ郵便局舎 五開簡易郵便局の概要五開という地名は、明治8年1月に巨摩郡十谷村・鳥屋村・長知沢村・柳川村・箱原村が合併して五開村となったことによります。昭和30年4月1日に 鰍沢町と合併し、改めて鰍沢町が発足したため、同日五開村は廃止されます。現在の富士川市の南部にあたる地域に相当します。五開簡易
山本周五郎とゆかりのある「みどう本陣」|旧初狩郵便局 2023.01.24 レトロ郵便局舎 旧初狩郵便局の概要初狩郵便取扱所ができたのは、他の甲州街道沿いの局所と同じ明治5年7月1日(1872年8月4日)のことです。郵便創業期の文書には逓送請負人として富田右内と奥脇市右衛門の2氏が連名で記載されており、下初狩の初代郵便取扱役(郵便局長)には富田右内が任命されています。下初狩郵便取扱所は
山梨県の山間部にある明治末期の現存局舎|旧上九一色郵便局 2022.05.24 レトロ郵便局舎 旧上九一色郵便局の概要九一色という地名は九一色衆と呼ばれる在郷の武士団に由来し、明治22年7月1日に九一色村の一部から上九一色村が発足しました。甲府市のサイトによると、土橋助右衛門宅に明治7年7月1日に古関(ふるせき)郵便取扱所*として設置したのが、上九一色郵便局の始まりです。また、かつての西八
大正末期の旧甲府法人会館に入居|甲府中央四郵便局 2022.04.19 レトロ郵便局舎 甲府中央四郵便局の概要甲府中央四郵便局(山梨県甲府市)は明治23年6月に設置された相生町郵便受取所を起源とします。郵趣界においては明治32年10月以降の緑町ないし甲府緑町の局名表示の縦書丸一印(非郵便)がもっとも多くみられます。明治38年4月には三等無集局に改定されました。甲府中央四
身延山の大工が手掛けた旧局舎|旧小井川郵便局 2022.03.17 レトロ郵便局舎 旧小井川郵便局(田富郵便局)の概要小井川郵便局のルーツを遡ると、明治7年7月にできた布施郵便取扱所に行き着きます。明治8年5月に布施郵便局から小井川郵便局に改称しました。現存する旧小井川郵便局舎は昭和5年頃に身延山の大工(下山大工)によって建てられたもので、木造洋風建築となっています。昭和34年
甲州街道沿いに現存|旧勝沼郵便電信局 2022.01.17 レトロ郵便局舎 旧勝沼郵便電信局の概要山梨県甲州市にある旧田中銀行博物館は、明治31年頃に勝沼郵便電信局として建てられたことで知られています。甲州街道の宿場町であった勝沼に郵便取扱所ができたのは明治5年7月で、郵便創業の翌年のことでした。電信業務の取扱いに伴い、勝沼郵便電信局(三等郵電局)に改定されたのが明治2