「紙の集積地」として栄えた高部宿の旧高部郵便局[美和郵便局]

高部宿について

高部宿は茨城県常陸大宮市 美和地域に位置しています。高部宿は、美和地域高部地区の中心部に位置する趣ある町並みが残る宿場町です。この地域には、佐竹氏の五男・高部景義が築いたとされる高部城があり、中世以来、軍事や宗教の拠点として栄えてきました。常陸国と下野国の国境に位置し、那須氏などからの守りを担う重要な防御線でもありました。

江戸時代には、和紙や葉煙草を扱う有力商人が高部宿に集まり、水戸藩の経済を支える重要な拠点となっていました。その中でも岡山家、大森家、國松家、堀江家の4家は特に富裕な商人として、水戸藩との強い結びつきを持ち、郷士となりました。現在でもこうした有力な商家が形成した旧酒蔵や和洋折衷の趣を残す古い町並みがあり、緒川の清流に沿って広がっていて、当時の繁栄を物語る貴重な遺産として大切に保存されています。

旧美和郵便局

旧高部郵便局の詳細情報

明治17(1884)年7月に開局した高部郵便局を当初担ったのは大森家であり、その後に郵便局の経営を引き継いだのが、國松家でした(両家は親戚筋)。國松家は、近世において紙問屋、村役人を務めた名家の1つで、藩主の巡村の際の休憩所になった記録も残ります。明治初期から酒造業を営みました。通りに面して建つ若草色の近代建築こそがかつての郵便局舎です。

開局時点の名称は「高部」(たかべ)であり、五等郵便局として設置されましたが、明治19(1886)年4月26日に三等郵便局に改定しました。「高部」(たかぶ)となったのは昭和5(1930)年4月6日のことです(読替改称)。昭和16(1941)年2月1日には特定郵便局へと改定されました。そして、昭和33(1958)年9月11日に現在の名称である「美和郵便局」へと改称され、今日に至るまで地域に根ざした郵便サービスを提供し続けています。

旧美和郵便局

旧高部郵便局舎(國松氏宅)が使用されたのは、局所原簿の記述を読む限り、昭和40年(1965)10月24日までのようです。

高部郵便局の沿革1

高部郵便局の沿革2

最新の状況

令和5(2023)年11月15日、若草色の単色からナチュラルホワイトと若草色の組み合わせにペンキの塗り直しを行い、美しく生まれ変わりました。旧高部宿のランドマークとして新たな役割に引き受けています。現地の情報によると、近隣の間宮家住宅と同じ配色にしたということです。

高部郵便局_國松氏宅

高部郵便局_國松氏宅(外観)

高部郵便局_國松氏宅1

旧高部郵便局・國松氏宅(洋室)

 

旧高部郵便局のアクセス

所在地
〒319-2601
茨城県常陸大宮市高部

アクセス
常磐自動車道「那珂IC」から約50分
JR東日本・水郡線「玉川村駅」から車で約20分

旧美和郵便局

美和郵便局の基本情報

現在の美和郵便局は「高部の町並み」から同じ県道29号線(常陸太田那須烏山線)沿いに徒歩3分ほどのところに所在します。ここでは「高部の町並み」を代表するその他の建物の写真も併せてご紹介します。

「高部の町並み」を代表する建築物

岡山家の喜雨亭

銘酒「花の友」を醸造していた岡山家の喜雨亭(國松家の隣家)。「花」は梅花であり、水戸の「偕楽園」を模したという同家の庭園では美しい梅の花が楽しめる。

間宮家住宅

間宮家住宅(明治35年に建設された木造の和洋折衷住宅・東側の三階建て洋館部分)。

所在地
〒319-2699
茨城県常陸大宮市高部5271-12

美和郵便局の沿革
明治17.07.16 設置 五等郵便局 設置名称「高部」(たかべ)
明治19.04.26 三等郵便局に改定
昭和05.04.06「高部」(たかぶ)と読替改称
昭和16.02.01 特定郵便局に改定
昭和33.09.11 現名称に改称

沿革は『日本郵便局名鑑 』森 寿博 編著/武田 聡 追補/鳴美、2021年より。

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