米里(人首)郵便局の歴代局舎と変遷について|岩手県内の記録

米里郵便局の郵便局舎の変遷

まず所在地ですが、奥州市江刺米里字人首町(えざしよねさとあざひとかべまち)と読みます。明治7年12月16日に人首郵便取扱所として開設し、明治8年1月1日人首郵便局となりました。明治31年12月1日に米里郵便局と改称しています。人首(ひとかべ)とは物々しい地名ですが、かつて坂上田村麻呂と戦った蝦夷の族長アテルイ・モレ(悪路王)の甥(息子?)の人首丸に由来します。大同元年(806)に朝廷軍との戦いに敗れ、まもなく殺されました。大森山近くに人首丸の墓碑があります。

最初の郵便局が設置されたのは、多田屋茶酒店のあった人首村105番戸であり、明治27年5月2日までここに郵便局がありました。2代目の局舎は米里村96番戸(現在の人首町68番地)にあり、続いて明治37年7月30日に3代目の局舎として米里村51番戸に移りました。

米里郵便局

最初に人首局があった場所。昭和47年8月撮影(O)

米里郵便局における電信開通式

ここに示す2枚の写真は3代目の米里郵便局で明治40年12月1日前後に行われた電信開通式の様子です。明治20年代から40年代にかけて、電信は全国各地に普及していきました。リアルタイムで情報が入手できる電信の開通はその町村にとって大きな近代化の一歩であり、大きく慶賀すべき事柄として考えられていたことがよくわかる写真です。全国各地でも同様の電信開通式が行われていたようですが、意外に電信開通式の写真は残っていないので、とても貴重な写真といえます。

米里郵便局

3代目米里郵便局舎。米里村51番戸 旧五十嵐信行氏宅となった木造建物はこの後に建て替えられたものであろう。

 

米里郵便局

3代目米里郵便局舎。米里局の記録では、内国和文電報の取扱開始が明治40年12月1日となっている。前列向かって右から2人目が4代目菊池喜六局長

米里郵便局

3代目米里郵便局舎。米里村51番戸(字人首町23番地)。明治41年以後改築。電信開通後の改築と思われる。旧五十嵐信行氏宅。昭和47年8月撮影(O)

昭和・平成以降の米里郵便局

昭和に入って、擬西洋風の局舎が新築されました。昭和2年の4代目局舎(人首町57番地)は現在の郵便局舎の県道8号線を隔てた向かいの位置にあり、昭和9年の5代目局舎の詳細は現在の郵便局舎から1軒隔てた並びの位置にあります。いずれも住居などに改築されていますが、今もなお現存しています(2022年8月Google Map確認)。ここでは4代目から6代目までの米里郵便局舎の写真を紹介します。

米里郵便局

4代目米里郵便局。昭和2年6月6日~同9年8月27日まで使用された局舎。昭和47年8月撮影

米里郵便局

4代目米里郵便局。昭和2年6月業務開始~同9年8月。平成16年2月撮影(O)

 

米里郵便局

5代目米里郵便局。昭和9年8月業務開始

米里郵便局

6代目米里郵便局。昭和46年9月業務開始~ 昭和47年4月撮影(O)

米里郵便局

6代目米里郵便局。郵便区分棚。昭和47年4月撮影(O)

6代目米里郵便局時代のバス託送。江刺バスセンター発米里行。郵袋が積んである。昭和49年12月撮影

(荻田栄治さんのご厚意により収集された写真類をレトロ郵便局に掲載させていただきました)

米里郵便局の基本情報

所在地
〒023-1551
岩手県奥州市江刺米里字人首町43-2

米里郵便局の沿革
明治07.12.16 設置 郵便取扱所 設置名称「人首」
明治08.01.01 五等郵便局に改定
明治19.04.26 三等郵便局に改定
明治31.12.01 現名称に改称
昭和16.02.01 特定郵便局に改定
平成27.03.23 集配廃止 引継:江刺

*沿革は『日本郵便局名鑑 』森 寿博 編著/武田 聡 追補/鳴美、2021年より。

資料提供:荻田 栄治(おぎた・えいじ)
交通史研究者・郵趣家。1941年に岩手県江刺郡岩谷堂町(現 奥州市)に生まれる。日本郵趣協会県南支部(岩手県)結成に尽力し、支部長に就任。2004年から10年にわたり江刺市行政区長(岩谷堂3区)を務めた。主な著作に1980年『江刺の郵便誌』が処女作。近著に2018年『北上川に架かる橋』がある。

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