集合郵便受箱と住居表示の整備|昭和30年代

集合郵便受箱の設置

昭和30年代半ばになると、日本の人口は大都市圏とその周辺に集中します。それに伴って建物の高層化集合化が進み階段を上り下りして郵便を配達することが多くなりました。そこで昭和36年にエレベーターのない三階建て以上の建物については、建物の出入口やその周辺に集合郵便受箱を設置することを郵便法などで規定し、集合郵便受箱の設置協力を要請します。昭和53年9月の調査によると、全国24万棟、配達箇所数450万のうち99%が集合郵便受箱に郵便物が配達されていました。

郵便受け

住居表示の整備

もう一つ郵便配達の効率化に寄与したのが住居表示の整備です。郵政省が協力し自治省が昭和37年に住居表示を法制化しました。かつての町名地番はいわば財産番号で、住所を頼りに家を探すことは難しかったのです。郵便配達や行政事務にも大きな支障をきたしたし、一般の人にももちろん不便でした。法制化後、合理的に市町村を区切り新たな町村名を定め、各建物に住居表示を付けていきました。

文:近辻喜一(ちかつじ・きいち)

近辻喜一さん郵便史研究会会長。『新版・明治郵便局名録』(鳴美、2015年)校訂者として知られ、一般の方にも親しみやすい郵便史の解説で定評がある。多摩地域を中心とする郷土史研究者としての顔も持つ。

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