上野国安中の電報 ―柳沢庄平家における商用通信の定量分析― 2024.10.15 日本郵便史の知識 上野国安中の電報 ―柳沢庄平家における商用通信の定量分析―板橋 祐己郵便史研究会 『郵便史研究』(第57号)2024年10月はじめに筆者は上野国安中の米問屋として知られる柳沢庄平家に届いた明治23(1890)年から大正13(1924)年頃にかけての電報送達紙を1万通余り入手した。
砥石の採掘で栄えた町にあった洋風建築|旧砥沢郵便局 2024.09.03 レトロ郵便局舎 旧砥沢郵便局の概要砥沢(とざわ)と読みます。郵便局名にもなっている砥沢ですが、砥沢村は江戸時代に砥石の採掘で栄え、中山道脇往還の分岐点としても重要な役割を果たしていました。文禄2年(1593年)には南牧関所が設けられ、江戸時代には幕府領として耕地が細分化され、特定の家が砥石採掘を許されていました
群馬県多野郡上野村に今も残る旧楢原郵便局 2024.06.14 レトロ郵便局舎 旧楢原郵便局の概要楢原郵便局は父母トンネルの西側に位置する上野村の大字楢原から来ています。上野村は群馬県多野郡に位置し、群馬県で最も人口の少ない自治体であるとともに、関東地方の非島嶼部で最も人口が少ない地域です。かつて上野国に属していたこの地域は、「こうずけ」ではなく「うえの」と読まれます。明治
群馬県の郵便創業を今に伝える|旧中山郵便局 2022.02.05 レトロ郵便局舎 旧中山郵便局の概要三国街道は中山道の高崎(群馬県高崎市)から分かれ、北陸街道の寺泊(新潟県長岡市寺泊地域)へ至る街道で、江戸と越後を結ぶ最短ルートとして重要でした。明治5年に三国街道に新式郵便が行われるとき、高崎から数えて7つ目の中山宿における郵便取扱人(郵便局長)として平形作太郎が推挙され、明
郵便と電信を担った「郵便電信局」 2022.01.11 日本郵便史の知識 現業部門における郵便と電信の統合≒郵便電信局の置局郵便電信局は日本切手の専門家にとってはなじみ深いものですが、一般にはあまり知られていない名称ではないでしょう。中央省庁の逓信省が明治18(1885)年12月22日に発足して、郵便と電信は逓信省が担うことになりました。これを受けて、農商務省