白抜記番印・小型ボタ印・大型ボタ印 2022.06.09 一等局の消印の変遷(白抜記番印・小型ボタ印)郵便取扱数の多い一等局では、切手の抹消と証示を同時に行う、二重丸印軸に抹消印を取り付けた「二連印」を使用しました。最初に登場した「白抜記番印」(下)は、明治8年1月から東京本局で使い始め、ほかの6局がそれに続きました。次いで、「白抜十字印」が14の一等
機械印の変遷とその形状|大正3年~ 2022.04.06 機械印の始まり大正3年に押印の機械化がはじまりました。逓信博物館の林理作の発明した「林式郵便葉書自動押印機」が昭和10年頃までに100台以上が全国配備され、もっぱら郵便はがきの押印に使われました。消印能力は1分間に手動式250枚、電動式300枚という。この機械印は、一見すると手押しの櫛型印と同じ
櫛型印の登場と展開|明治39年 2022.03.30 櫛型印のはじまりおなじみの「櫛型印」は、一・二等局では明治39年から、三等局では明治43年から使われはじめました。昭和61年に「丸型印」へ切り替わるまで80年間も使用され、内国用日付印の中心的存在でした。円を三分割して、上段に局名を、中段に年月日を、下段に時刻表示を配した型式です。中段をはさんで
丸一型日付印の登場|明治21年 2022.03.23 日付印の大改正明治21年9月、全国の郵便局で新しく統一された日付印を一斉に使い始めました。この「丸一印」と呼ばれる日付印は抹消も兼ね、東京などは明治33年末、その他の一・二等局は明治38年末、三等局は明治42年末まで、それぞれ使用されました。その型式は、円の真中より少し上を横線で二分し、
税済印が使用された地方特別郵便(地方約束郵便) 2022.03.16 地方特別郵便(地方約束郵便)前島密の立案した、地方特別郵便(地方約束郵便)制度とは、各府県内の公用文書送達をすべて郵便で行うという契約を、各府県と個別に締結するというもので、明治16年度までに各府県との契約締結をほぼ完了しました。同年度の通常郵便物引受数は一億一一六一万通に、郵便局数は五六六三局
記番印と二重丸印の全国配備|明治6-7年 2022.03.02 二重丸印の登場とその背景明治6年3月10日、郵便料金を全国均一にすることと、郵便事業を政府専掌とすることを定めた太政官布告(第九七号)が出され、翌4月1日から実施されました。わが国の郵便史上、もっとも重要な布告の一つです。この均一料金制導入に呼応して、三府五港の郵便役所に新型の日付印が配備されま
地域色豊かな不統一印|明治4-10年 2022.03.01 「不統一印」とは全国の郵便取扱所では、それぞれ地元の印判屋に作らせた「不統一印」で切手を抹消しました。郵便の全国展開と並行するかたちで、千種類を超える独自の消印が使われました。郵趣界には不統一印の使用状況・使用時期などをデータベース化した文献類が整備されているため、郵趣家は使用済切手の消印から、
名勝史跡や特産品等にちなむ風景印(風景入通信日付印)とは 2022.02.11 風景印は特別日付印の一種風景印は全国各地の約11,000の郵便局に配備されている図案入りの特別日付印*の一種で、正式名称を「風景入通信日付印」(ふうけいいりつうしんひづけいん)といいます。通常の場合、鳶色とよばれる赤茶色のインクで証印され、直径36ミリ以内の円形が基本ですが、中には変形風景印と呼