画廊喫茶「牛転(うしまろび)」として活用される旧牛窓郵便局

旧牛窓郵便局の概要

昭和10年(1935)にできた旧牛窓(うしまど)郵便局は岡山県瀬戸内市牛窓町のしおまち唐琴通りに位置しています。この歴史的な建物は、海遊文化館のすぐ裏にあります。『牛転』は、画廊喫茶としてだけでなく、「牛窓再発見の会」の拠点としても機能しています。内部の天窓や電話ボックスなどが当時のままであり、昭和レトロな雰囲気を楽しむことができるスポットとなっています(令和3年[2021年]1月訪問)。

『牛転』では、Camp Fireというクラウドファンディングプラットフォームを通じて、ゲストハウスとしての活用を目指した支援活動も行っています(2024年6月30日まで)。このプロジェクトは、地域の魅力を広く発信し、多くの人々に牛窓の素晴らしさを体験してもらうことを目的としています。『牛転』での滞在は、ただの宿泊体験にとどまらず、地域の歴史や文化を学び、現地のコミュニティと交流する貴重な機会となります。支援活動への参加を通じて、多くの人々がこの歴史的な建物の保存と地域の活性化に貢献することが期待されます。

旧牛窓郵便局

旧牛窓郵便局の詳細情報

明治7年(1874年)1月に牛窓郵便局は設置され、郵便取扱所として業務を開始しました。その翌年の明治8年(1875年)1月1日には、五等郵便局に改定されました。その後、明治14年(1881年)9月19日に四等郵便局に改定されました。さらに、明治19年(1886年)4月26日には三等郵便局に改定されています。明治30年(1897年)4月1日、牛窓郵便局は三等郵便電信局に改定され、郵便事務に加えて電信事務も行うようになりました。しかし、明治36年(1903年)4月1日には再び三等郵便局に改定されました。

昭和16年(1941年)2月1日、牛窓郵便局は特定郵便局に改定されました。長く集配特定局として機能してきましたが、平成27年(2015年)3月2日には、牛窓郵便局の集配業務が廃止され、その業務は邑久郵便局に引き継がれました。

旧牛窓郵便局

旧牛窓郵便局のアクセス

所在地
〒701-4302
岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓 3061

アクセス
JR西日本・赤穂線「邑久駅」より車で20分
両備バス「邑久駅」より乗車、「牛窓」下車、すぐ
岡山ブルーライン「邑久IC」より車で約15分

牛窓の地名について

牛窓は、岡山県瀬戸内市に位置する歴史的な港町であり、古くから重要な役割を果たしてきました。その名称は万葉集巻第十一に見られるように、古くからの港集落として知られています。近世には、朝鮮通信使の上向・下向時の接待や宿泊地としても重要な場所でした。また、近年まで瀬戸内海における海上交通の要衝地としても重要な位置を占めていました。

牛窓の地名由来で有名なのは、神功皇后伝説にまつわる話です。『風土記逸文』には、「神功皇后が備前の海上を通過した際、大きな牛が出現し、その牛が舟を覆そうとしたが、住吉の明神が老翁に化け、その角を使って牛を倒した」という話が記されています。この伝説によれば、その場所を「牛轉(うしまろび)」と呼ぶようになり、やがて「牛窓」と訛って呼ばれるようになったとされています。牛窓という地名にはさまざまな漢字が当てられてきました。「牛間戸」(『山槐記』1179年)、「卯島津」(『海東諸国記』1467年)、「宇嶋門」(『室町幕府奉行人連署奉書』1552年)、「宇志間門」(『三藐院記』1592年)、「うしまと」(『鹿苑院殿厳島詣記』1389年)、「牛窓」(『源頼朝下文』1185年)など、時代や文献によって異なる漢字が使われています。

日本のエーゲ海とも呼ばれる牛窓の風景

日本のエーゲ海とも呼ばれる牛窓の風景

牛窓郵便局の基本情報

牛窓郵便局は郵便創業期の頃まで遡ることのできる歴史と伝統のある郵便局です。

所在地
〒701-4302
岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓3911-31

牛窓郵便局の沿革
明治07.01.- 設置 郵便取扱所
明治08.01.01 五等郵便局に改定
明治14.09.19 四等郵便局に改定
明治19.04.26 三等郵便局に改定
明治30.04.01 三等郵便電信局に改定
明治36.04.01 三等郵便局に改定
昭和16.02.01 特定郵便局に改定
平成27.03.02 集配廃止 引継:邑久

沿革は『日本郵便局名鑑 』森 寿博 編著/武田 聡 追補/鳴美、2021年より。

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