吉田鉄郎を輩出した五島家の旧福野郵便局

旧福野郵便局の概要

東京中央・大阪中央郵便局を設計した建築家吉田鉄郎は有名ですが、学生時代は五島鉄郎を名乗り、富山県礪波郡福野町(現在の南砺市の一部)にある生家が薬種商と三等郵便局だったことはあまり知られていません。

福野は庄川と小矢部川に挟まれた砺波平野の中心部に位置します。五島家は鷹栖屋という薬種問屋を営み、当主は世襲名で寛平を名乗りました。吉田鉄郎の祖父である五島寛平(四代目)は、家業を行いながら地域の子女のために寺小屋を運営していました。福野郵便局の歴史は、明治7年(1874年)1月15日に福野郵便取扱所が開設されたことから始まります。初代郵便取扱役に就任したのは田中清三という人物でした。福野郵便局の経営が五島鉄郎の実父である五島寛平(五代目)に移ったのは明治24年(1891年)でした。薬種商の店舗の半分が郵便局となり、五島家は「桜陰書院」として文人や芸術家のサロンのような場所でもありました。

旧福野郵便局

旧福野郵便局の詳細情報

五島鉄郎が大学を卒業したのは大正8年(1919年)のこと。同年7月17日には逓信技手として逓信省経理局営繕課に勤務を命じられました。同時に吉田家の養嗣子となり、名前を吉田鉄郎に改めました。当時の営繕課は優秀な建築家が集まる名門であり、吉田鉄郎のキャリアの基盤となりました。福野には吉田鉄郎が設計した建築がいくつか現存しています。大正8年の旧授眼蔵図書館は西方寺の私設図書館として、大正12年(1923年)の福野郵便局は住友生命の施設として活用されました。また、旧福野郵便局は曳家されて上町公民館として利用されています。

吉田鉄郎は近年再評価され、日本を代表する建築家の一人とされています。彼の実家である福野郵便局とその関連施設は、地域の歴史と文化を物語る重要な遺産となっています。

旧福野郵便局

旧福野郵便局

旧福野郵便局のアクセス

旧福野郵便局所在地
〒939-1567 富山県南砺市福野上町
旧福野郵便局の離れ所在地
〒939-1561 富山県南砺市福野
アクセス
徒歩:JR西日本・城端線「福野駅」から約5分
車:東海北陸自動車道「南砺スマートIC」から5分

福野郵便局の離れ(梶井邸)

福野郵便局の離れとして設けられた住宅部分と蔵が隣家に曳家され、ほぼ建設当時の姿のまま梶井家が利用してきました。局舎も離れの住宅部分にも大きな開口部があり、同時に設計された逓信建築とのデザインのつながりが感じられます。この貴重な建物は現在、クラウドファンディングなどで資金調達を行い、シェアハウスとして活用しようとする動きがあります。

旧福野郵便局(離れ)

旧福野郵便局(離れ)

福野郵便局の基本情報

現在の福野郵便局は少し離れた場所にあります。吉田鉄郎の実兄が移転時の土地取得などで尽力したことが知られてます。

所在地
〒939-1599
富山県南砺市苗島4912

福野郵便局の沿革
明治07.01.15 設置 郵便取扱所
明治08.01.01 五等郵便局に改定
明治14.07.25 四等郵便局に改定
明治19.04.26 三等郵便局に改定
明治25.03.16 三等郵便電信局に改定
明治36.04.01 三等郵便局に改定
昭和16.02.01 特定郵便局に改定

沿革は『日本郵便局名鑑 』森 寿博 編著/武田 聡 追補/鳴美、2021年より。

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