現存する「分離派風局舎」で知られる旧逓信省下関郵便局電話課庁舎

旧逓信省下関郵便局電話課庁舎の概要

旧逓信省下関郵便局電話課庁舎は、大正13年(1924年)に建設された建物で、中国地方で初めて「共電式」電話交換を導入した逓信省の建物としての意義を持っています。この建物は、電話の需要増加に応えるために建てられ、逓信省が電話専用の局舎の建設を進めた一環として設計されました。

建設当時、電話交換の方式は手動から自動へと移行しつつありました。共電式とは、手動交換の中で最後に普及した方式で、下関は全国で8番目にこの方式が導入されました。下関の局舎は、その共電式導入のために建設されたとされています。

旧逓信省下関郵便局電話課庁舎

旧逓信省下関郵便局電話課庁舎の詳細情報

建物のデザインには、大正10年(1921年)に発表された「ある電話局の草案」が大きく関わっており、この草案と本建物のデザインには多くの共通点が見られます。特に塔屋屋根の曲面形状、アーチ状の窓、3種類の高さのある列柱などが類似しています。しかし、完全に一致はしていないため、専門家のあいだでは「分離派風局舎」と呼ばれ、兵庫・福岡・下関に建設された類似の局舎の中で、現存しているのは下関のこの建物だけです。

旧逓信省下関郵便局電話課庁舎

旧逓信省下関郵便局電話課庁舎は大正13年から昭和41年(1966年)まで電話局舎として利用され、昭和44年(1969年)に下関市の所有となりました。その後、福祉センターや市役所の執務室としての用途変更を経て、平成22年(2010年)2月に下関市立近代先人顕彰館「田中絹代ぶんか館」として再開されました。現在は、田中絹代をはじめとする下関にゆかりのある文化人を顕彰し、地域の文化情報を発信する施設として公開されています。

田中絹代は、黎明期から日本映画界を支えた大女優であり、映画史だけでなく、日本文化史においても特筆すべき人物です。彼女は14歳で松竹に入社し、清純派スターとして人気を博し、戦後は演技派としてさらにその才能を開花させました。田中絹代が映画監督としても活躍し、著名な作品に関わったことは、彼女の多才な面を示しています。

旧逓信省下関郵便局電話課庁舎

旧逓信省下関郵便局電話課庁舎(下関市立近代先人顕彰館)のアクセス

所在地
〒750-0008
山口県下関市田中町5-7

アクセス
JR「下関駅」よりバスで約7分
JR「新下関駅」よりバスで約30分、バス停「唐戸」下車徒歩約5分、または「西の端」下車徒歩約2分
中国自動車道「下関IC」より車で約10分(下関市街方面)
「関門トンネル」より車で約10分(下関市街方面)

旧逓信省下関郵便局電話課庁舎

旧逓信省下関郵便局電話課庁舎について

「分離派風局舎」と逓信省営繕課を知るためには、次の資料が参考になります。
*「分離派風局舎」と逓信省営繕の建築一大正後期の逓信省建築に関する研究その2一」(日本建築学会計画系論文集 第516号、257-264頁、1999年2月)

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