最初の公式鋳鉄製赤色円筒形郵便柱箱―回転式ポストとその改良について―
井 上 卓 朗 郵政資料館 研究紀要 第7号(2016年3月)
メイン画像:北海道開拓の村の旧島歌郵便局局舎前にある回転式ポスト(レプリカ)
*井上卓朗氏の過去の論文を原著者の厚意ならびに郵政博物館資料センターの許諾(令和4年度承認番号257号)を得て転載しております。本記事の図版の転載はお控えください。
1 はじめに
鋳鉄製で赤く塗装された円筒形の郵便柱箱は、中村式ポスト、俵谷式ポストにより明治34年(1901)からその試用を開始した。ポストの製作にあたって俵谷高七氏は「是迄の柱函はどうも不完全で火事の時には非常に心配する。適当なのを作ってくれれば本省へ願って採用するようにするから。」と赤間関郵便局長の岡部氏から言われたという。
当時のポス卜は木製黒塗であったが災害、特に火災に弱かった。明治30年(1897)前後の雑誌記事には、ポストに爆竹や点火した綿を投げ込む悪質な放火事件がしばしば見られた。ポストが鋳鉄製に変わったのはこうした事情があった。そして、明治41年(1908)10月、公達第808号(1908.10.29)によって正式にその雛形が定められた。
新型ポストは、その後の鋳鉄製ポストの原型となったが、郵便物の差入口が回転する特殊な構造を持っていた。これが回転式ポスト(図1)である。
郵便ポストの公達上の名称は郵便柱箱である。しかし、この名称では資料分類に支障をきたすため、郵政博物館では「回転式ポスト」と名付けて分類することにした。ちなみに、黒ポスト、中村式ポスト、俵谷式ポスト、丸形庇付ポスト、代用ポストという名称も、郵政博物館がポストを分類するために付けた名称であり、公達上の名称ではない。
2 鋳鉄製赤色円筒形郵便柱箱の正式制定
さて、回転式ポストの詳細な仕様は残されていないが、公達で定められた内容は次のとおりである。
(逓信公報 第五〇四五号 明治四十一年十月二十九日)
公達第八百八号
通信官署
自今郵便函ノ雛形左ノ通相定ム但船舶内及鉄道停車場等ニ設置スルモノハ此雛形ニ依ラサルコトアルヘシ
従来ノ郵便函ハ当分ノ内取交セ之ヲ使用セシム
明治四十一年十月二十九日 逓信大臣男爵後藤新平
- (一)郵便柱函
品質 鋳鉄(其ノ一部ニ板鉄ヲ用井ルコトアルヘシ)但シ差入口蓋ノ一部、鍵座、便名差座金等ハ真鍮トス
寸法 大形、並形ノニ種トス大形ハ長四尺八寸円径一尺五寸、並形ハ長四尺五寸円径一尺二寸台石二種共ニ地上ニ於テ高八寸円径二尺四寸トス
塗 朱色ペイント但シ徽章及文字ノ部分ハ金トス
構造 (A)ハ差入ロニシテ図中(イ)ノ把手ヲ左右孰レノ方ニテモ廻転シテ(ロ)ノ切口ヲ上部(イ)ノ位置ニ移ストキハ差入口現出シ投函ヲ了ヘテ把手ヲ放ツトキハ自働ニテ(ロ)ハ原位置ニ復ス(B)ハ開函扉ニシテ図中(ハ)ハ其次ニ開函スヘキ便名ヲ示ス(ニ)ハ鍵座ナリ 在外郵便局区内ニ設置スルモノニハ(郵便)ノ上ニ(日本)ノニ字ヲ加へ(POST)ノ二字ヲ加ヘ(POST)ノ上ニ(JAPANESE)ノ字ヲ加フ
この公達の施行にあたって、同年11月に通業甲第1082号通牒「郵便函雛形改正ニ関スルノ件」(1908.11.7)1により回転式ポストの構造、運用方法等の詳細が定められた。
郵便函雛形改正ニ付テハ左記了知アレ(明治41.11 通業甲1082)
一、改正郵便柱函及同掛函設置方ニ就テハ追テ規定セラルヘキモ郵便柱函ハ一、二等局市内枢要ナル箇所ニ郵便掛函ハ其以外ノ箇所ニ設置方先以テ取計置カレタシ
一、既設郵便函ハ将来引換ヲ要スル時ヲ俟テ改正ノ分ニ引換ヘラレタシ但尚使用ニ堪フルモノヲ移設スル等ノ場合ハ此ノ限リニ在ラス
一、従来ノ雛形ニ依リタル在庫品ハ取交セ使用ヲ要スルモ可成之ヲ三等局ノ分ニ充用シ一、二等局ノ分ハ努メテ改正ノモノニ依ルコトニ取計ハレタシ
一、事業用物品規程ハ此際改正セラレス追テ郵便函設置ニ関シ規定ノ際改正セラルヘキニ付其交付制限等ハ前各号ノ趣旨ニ依リ可然処理アレ
一、改正郵便函ハ総テ既達予算ノ範囲内ニ於テ調製スルモノトス
一、十六年五月駅逓総官達梓規十六第六十九号二十年公達第百八十六号及二十六年公達第三百五号ハ本公達ニ依リ自然消滅シタルモノトス為念
一、改正郵便函ノ構造ニ関スル説明書及分解図案送付ス
説明書
(一)改良ノ要旨ハ専ラ外観上ノ形状、製作ノ堅牢耐久、盗難ノ防備、費用ノ経済等ニ在リテ存ス
(二)叙上ノ目的ニ依リ設計シタル分解図ハ別ニ添付スル所ノ如シ而シテ図解ヲ以テ容易ニ解得シ難キ微細ノ点及形状ノ整美ヲ一定セシメンカ為ニ別ニ見本原型各壱個ヲ交付スへシ
(三)公達ニ於テ内部ノ構造ヲ明示セサルハ盗難防備ニ関スル差入口ノ改良研究等多年審査考量ノ結果比較的本構造ヲ以テ完全ナリト認メ選定発表シタル所ト雖モ未タ之ヲ以テ無欠ナリト云フヲ得ズ故ニ本器以上ノ改良進歩ヲ期スル為暫ク之カ規定ヲ設ケズ一監督局若ハー局区内ニ於テ随時内部構造ニ改良ヲ加へ得ルノ余地ヲ存シ倍々完全無欠ノ域ニ進捗セシメムトノ意ニ外ナラス若シ各局ニ於テ之カ構造ニ改良ヲ加へントスル場合ハ一応通信局ノ審査判定ヲ経ルヲ要ス但シ其ノ改良案ハ単ニ内部ノ結構ニ止メ外部ノ形状ヲ変更セシメサル議ナリ
(四)扉ノ錠前ハ如何ニ完全ノモノト雖モ数個ヲ通シテ同一ノ鍵ヲ使用スル場合ハ合鍵ヲ製作スルニ難カラサルハ東西已ニ其ノ揆一ナリトス故ニ本器ノ如キハ各局毎ニ多少ノ構造及鍵孔ノ大小ヲ異ニスルヲ盗難防備上幾分ノ効力アルモノト認メタルニ依リ一定ノ構造ヲ示ササル所以ナリ
(五)前項ノ理由ニ付使用局ニ於テハ
- (第一)構造簡単ニシテ開函ニ手数ヲ要セス且破損シ易カラサルモノ
(第二)合鍵ヲ容易ニ製作シ得サルモノ仮令ハ普通ノ錠前ノ如ク其ノ鍵孔ト内部ノ開閉器トノ間ニ之ヲ探知シ得サルノ障壁ナク一箇所錐又ハ曲リタル釘頭ヲ以テ鍵孔ニ挿入スルトキハ鍵ヲ要セスシテ閉鎖シ得ルノ類ニ注意スルコト
(第三)簡単ナル鍵ニテ閉鎖シ得ルモノハ避クへキコト仮令ハ二段又ハ三四段ノ弾条ヲ有セサルモノニシテ丁字形又ハ平盤ナル鉄片ニ多少ノ曲折又ハ歯形ヲ附シタルモノハ其ノ合鍵ノ製作容易ニシテ盗児ヲシテ閉鎖セシメ易シ
(第四)以上ノ諸点ヲ研究シテ可及的完全ト認ムルモノヲ採用スルヲ要ス
(六)集配人ノ携帯スヘキ鍵及予備又ハ検査用トシテ使用スヘキ鍵ノ保管ヲ一層厳重ニスルコト最モ緊要ナリ
(七)便札ノ使用ハ改良郵便函ノ一区又ハ数箇ノ建設ヲ了スルマテ暫ク開函証印ヲ使用スルモ妨ナシ
(八)本改正品掛函ハ約十円以内柱函大ハ五十円以内小ハ三十五円以内ニテ東京大阪其ノ他鉄工場ノアル地ニ於テハ製作シ得ルモノト認ムルニ依リ第二項ニ依リ回付スヘキ内部ノ構造見本及外部ハ右ヲ鋳型トシテ適当ノ工場ヲ選定シ堅牢ニ製作スルヲ要ス
この通牒には「改正郵便函ノ構造ニ関スル説明書及分解図案送付ス」とあるが、残念ながら分解図案については残されていない。しかし、説明書には興味深い内容が列記されている。
まず、ポストの改良を行った理由は「外観上の形状、堅牢性、耐久性の向上、盗難の防備、経費削減である」としている。
外部の形状、堅牢性、耐久性については納得できるが、経費節減についてはどうだろうか。ポストの製作費用は、改正掛函は約十円以内、柱函大は五十円以内、小は三十五円以内と限定しているが、以前の木製ポストより製作費が安いとは思われない。
しかし、戦後の一号丸型ポストの開発時においても、代用ポストと比較して経費節減となることをその理由に挙げている。実は戦時中の代用ポストより一号丸型ポストの製作費自体は高額であった。その際の算出根拠は、製作費を耐久年数で割り、1年あたりの単価で比較したものであった。
つまり、鋳鉄製とすることで使用できる年数が大幅に伸びるということを前提とした経費削減という趣旨であろう。
盗難防止についてもかなりの努力の跡が見受けられる。盗難予防のためのポストの差入口の改良研究等は多年に及び、審査考量の結果、他と比較して回転式ポストを完全なものと認定した。しかし、無欠ではないので今後の改良・進歩を期するため、しばらく規定を設けず、事業用物品規程も改正しない。そのため、交付の制限等はこの通牒の趣旨により処理することとしている。
また、内部構造を公達において明示しないのは盗難防備のためであり、そのため図解でわからない詳細部分の確認のために原型見本各一個を交付するとしている。
ポストの設置については、①一、二等局など市内枢要の地に設置する。②既設ポストの交換は必要となった時(壊れた時)に行う。③既設ポストを移設し、回転式ポストに交換することはできる。④既設ポストと回転式ポストを取り混ぜて使用し、旧来の在庫品も使用する。⑤旧来の在庫品は主に三等局用とし、一、二等局は新規の回転式ポストとする。
内部構造の改良については、内部の構造のみとし外部の形状の変更は認めていない。実施の際は各局等で通信局の審査判定を受けて行うこととした。
取出口の鍵については、①作業上簡単に開閉できるもので、破損しないもの。②鍵は盗難防止のため各局で異なるものとしてよい。③鍵の保管は厳重にすること、と指示している。
便札の使用については、回転式ポストをある程度普及させてから開始し、それまでは開函証印を使用することとしている。ポストの製作は、東京、大阪その他鉄工場のある地においては、適当の工場を選定し堅牢に製作することとなっており、中央一括でなく地域別の製作を前提に考えていることが分かる。
3 差入口の特許とその仕組み
このポストに郵便物を投函するためには、上記公達等に記載されているとおり、まず回転板上部のつまみを持って左右いずれかに半回転させる必要がある。それにより回転板の切り口が上部に移動し、そこに差入口があらわれる。差入口の中には受棚があり、郵便物を投函すると郵便物はその受棚の上に乗る。そして手をはなすと、回転板は自動的に回転し差入口は閉じる。それと同時に受棚も回転し、郵便物は洛下して格納される、という仕組みになっている。
この差入口を考案したのは中村式ポストの発明者である中村幸治氏であった。この差入口は「郵便柱函差入口」という名称で特許局に実用新案登録されたのち、その権利は逓信省へ譲り渡されている。その構造は実用新案登録証(図2)に記載されている図面の説明によると次のとおりである。
登録実用新案登録 第15999号 第百十九類
出願 明治四十二年十一月 八 日
登録 明治四十三年 一月二十八日
東京市本所区新小梅町八番地
実用新案権者(考案者)中 村 幸 治
郵便柱函差入口
登録請求ノ範囲 図面ニ示セノル如ク郵便物ヲ投入後自動的ニ作用ヲ起スヘキ郵便柱函差入口ノ構造
図面ノ説明 図面ニ示ス物品ハ郵便柱函差入口ナリ
第一図ハ表面図
第二図ハ表面回転板ヲ取リ其ノ下部ニ現ハレタル差入口穴ヲ有スル板ノ図ニシテ其ノ中央ニ軸受穴ヲ有ス
第三図ハ点線ヲ以テ示ス内部ノ回転郵便物受棚カ上方ニ回転シ郵便物ヲ受クル卜同時ニ其ノ後方ニ装置セラレタル回転ヲ促カスヘク自働作用ヲ起ス三角函及ヒ其ノ三角函内ニ有スル玉ノ位置ヲ示ス図
第四図ハ第一図ノ切断図
第五図ハ第一図ノ平面図ナリ
図中(イ)ハ表面板ニシテ回転自在ナリ
(ロ)ハ把手 (ハ)ハ押縁 (ニ)ハ表面板ノ下板ニシテ固着セラレタルモノ (ホ)ハ郵便物受棚ニシテ回転自在ナリ (へ)ハ郵便物受棚ヲ支フル軸 (卜)ハ郵便物受棚カ表面板卜共ニ回転スルヲ助クル車 (チ)ハ柱函ノ後部ニ取附ケ郵便受け棚ヲ支フル座鉄 (リ)ハ郵便物受棚ヲ支フル軸(へ)ヲ支フル軸ニ貫通シテ取附ケタル三角形ノ袋ニシテ其ノ内部ニ金属製ノ玉ヲ装置シ郵便物投入後把手ヲ放ツト同時ニ自働作用ニテ受棚ヲ転倒セシムルモノトス
4 回転式ポストのサイズと構造
現存する回転式ポストは、現在郵政博物館に展示されているもの一台のみである2。このポストは、昭和38年(1963)頃まで、福井県吉田郡松岡町芝原1丁目(現在は永平寺町松岡芝原)の切手類販売所前に設置されていた。販売所の廃止に伴い撤去されたが、廃棄処分されず松岡郵便局の倉庫の中に奇跡的に残っていたものである。北陸郵政局に移設後、昭和55年(1980)4月から同局1階ロビーの郵政事業資料コーナーに展示されたが、同資料コーナーの閉鎖に伴い逓信総合博物館に移設され、閉館時まで展示されていた。現在は郵政博物館展示場において他の郵便ポストとともに展示されている。
このポストの公達上のサイズと実測したサイズは下表のとおりである。
現存する回転式ポストのサイズは公達上の並形に該当する。根石のサイズも、公達上では大型、並形とも地上部分の高さ八寸(24.3㎝)直径二尺四寸(72.7㎝)であり、現存する回転式ポストの根石とほぼ同寸である。
差入口の構造は部分的に残されている。図3は回転盤と郵便物受棚の接続部分を撮影したものである。郵便物受棚とそのカバー部分はすでに失われているが、回転盤に接続している軸と軸受部分は残っており、実際に回転させることができる。
回転盤と失われた郵便物受棚の構造については、郵政博物館資料センターにその実物モデル(図4)が残されている。図4左上が全体像、右上が回転盤との接合部分、左下が郵便物受棚上部、右下が同下部である。
この回転盤は図5のとおり円形のフレームで縁を覆われているが、雨除けの庇がないため、回転盤の隙間から雨水が入ることを想定して、取り付け部分のポスト本体側の下部に長方形の水抜きの穴(図6)が設けられている。本体の裏側には図7のように回転軸の軸受の穴が穿たれている。
5 中村式ポストと大形ポスト
公達第808号の定めによるとポストには大形と並形があることになっているが、逓信事業史3によると明治41年(1908)10月改正として、回転式ポストとともに中村式ポストと同形状のポスト(図8)が掲載されている。これが大形ポストだと思われるが、定かではない。
郵政博物館の中村式ポストは京都女子大学の所蔵する中村式ポストのレプリカであるが、高さは並形よりかなり低く、胴体の直径は並形と同じである。中村式ポストの図面(図9)には胴体直径のサイズが一尺二寸(36.4㎝)と書かれており、図面の比率で高さを計算すると測定値とほぼ一致する。
そのため、京都女子大の中村式ポストは公達上の大形ポストではなく、明治34(1901)年に日本橋南詰に試験的に設置されたポストと同型のものであろう。
現在のところ、公達上の大形ポストと同サイズのものは発見されておらず、どのように製作され配備されたかも不明である。
6 郵便函(ポスト)を赤くした理由等
明治41年(1908)の公達第808号及び通業甲第1082号通牒「郵便函雛形改正ニ関スルノ件」によって、新しい郵便ポストの基本的な構造が確立された。赤くて丸いポストの仕様が公式に採用されたのである。
従来の木製黒ポストから鋳鉄製赤色円筒形ポストに改正した理由については、この通牒の説明書に「改良ノ要旨ハ専ラ外観上ノ形状、製作ノ堅牢耐久、盗難ノ防備、費用ノ経済等ニ在リテ存ス」とあるのみで、色を赤くした理由などは記載されていない。
しかし、明治43年度の逓信省年報には次のような記載がある。
逓信省第二十三年報 明治四十三年三月
従来ノ郵便函ハ構造不完全ニシテ盗難予防、郵便物収容、使用耐久、道路障害等ノ関係上幾多ノ不便アリ多年研究ノ結果内外ノ構造ヲ改メ円形柱函ト掛函ノニ種ト為シ孰モ鉄製トシ且公衆ヲシテ認識シ易カラシムルタメ特ニ朱塗トセリ而シテ円形柱函ハ枢要ナル都市ニ設置シ他ハ掛函ニ改ムルコトトシ四十一年十一月七日ヨリ施行セリ
この内容から、明治41年の改正は、堅牢性、盗難予防、費用軽減以外に郵便物収容能力のアップ、道路障害の防止という理由があったことが分かる。道路障害の防止とは角柱形から円筒形にしたことであろうか。
赤くした理由は、「公衆ヲシテ認識シ易カラシムルタメ」であるが、要するにポストが目立つように赤くしたということであろう。
ちなみに、郵便と赤い色との関係はポストが赤くなるより古い。明治5年(1872)の郵便集配員の制服や制帽(韮山笠)には赤い色で郵便マークが描かれ、郵便用品には赤い色で郵便と書かれていた。また、郵便馬車の車体は赤く塗装され、車輪も赤く塗られていた。
これらは文明開化のシンボルとして明治期の錦絵等に数多く描かれている。
7 丸形庇付ポストへの改良
回転式ポストは様々に工夫を凝らしたもので完成度は高かったが、雨の日や荷物を持っているなど片手が使えないときには不便であり、回転盤を早く放しすぎて手をはさまれたり、雪国では回転盤が凍りついてしまったりした。また、子供のいたずらで回転盤が不具合を生じることもあった。
そのため、明治45年(1912)に回転盤を取りはずして、新たに固定式の鏡板(図10)を取りつけた。そして差入口の上には雨除けの庇を設け、差入口の内側には郵便物の盗難防止板(図11)を設置した。
ちなみに、盗難防止版のギザギザは、糸に鳥もちなどをつけて郵便物を盗もうとする行為を防ぐためのものであった。
このように差入口の上に雨除けのついた鋳鉄製赤色円筒形ポストを郵政博物館では丸形庇付ポストとして分類している。これは回転式ポストを改良したものだけでなく、新規に差入口を固定して作られたものも含まれている。
この丸形庇付ポストは、大正期の政府の緊縮財政の影響もあり、すぐには増設されなかったようである。公達に「従来ノ郵便函ハ当分ノ内取交セ之ヲ使用セシム」とあるように、特段問題のないポストはそのまま使われていたようで、大正期は黒ポスト、回転式ポスト、庇付ポスト、中村式ポストが混在して使用されていた。
大正6年(1917)の逓信協会雑誌に、「郵便ポストと云ふと今日では丹塗りの鉄製柱函が普通となりて、黒き木造りのは旧式ポストと目されて居る。そして其の数も漸々に減って行く。其の理由は蓋し郵便物の数量が増加した結果であると共に、又郵便物の保護といふ事乃至之に伴ふ外観の美といふ点にも関連して、丹塗りのが増設される事となったものと思われる。然るに此の丹塗りのポストには投入口を異にするものが有って、旧式と同様に口を押すか。明けるかに依りて片手でも投入し得る構造のもあれば、又片手でハンドルを握らないと投入し得ない仕組のものもある。」という記事が掲載されている。丹塗りの旧式と同様に口を押すポストというのが中村式ポスト(もしくは大型ポスト)であろう。
しかし、昭和4年(1929)には残っている回転式ポストも改造見本をそえた通牒によって順次改造され、新規製作されたポストも配備された。
昭和期に入ると自動車による郵便物の輸送が本格化し、昭和4年(1929)以降には集配にも使用されるようになった。そのため、車道からの郵便物の取集めに便利なように、ポストの取出口が差入口と反対に付いた新たな丸形庇付ポストが作られ、昭和8年(1933)4月頃から設置された。また、昭和9年(1934)6月頃にかさばる郵便物が投函できるポストが作られ設置された。差入口の下部を引き下げると差入口が倍の大きさに広がり、定期刊行物、新聞、書籍などが投函できるという構造になっている。
昭和9年(1934)の逓信協会雑誌には、「斯う時世がスピード化してきたのに、取出口が人道に面してゐるのでは如何にも取集動作がまどろっこしいし不便である、と云ふので最近考案されたのが、取出口が差入の裏側即ち車道に面してゐるものである。之ならオート三輪車のスピード取集めにも間に合ふだらうと云ふので昨年の四月頃から市内の交通頻繁な処で試験的に使われてゐる。(図12)それと之は些か趣を変へて、差入口がかなりの大きさに迄自由に拡がる試作品が此の六月頃から新しく市内数ケ所に設置された。之に依ると今迄差入困難で其の都度態々郵便局まで持って行かねばならなかった三種、四種の嵩高郵便物がポストで間に合ふと云ふことになる。(図13)」と紹介されている。
8 郵政博物館所蔵の丸形庇付ポスト
郵政博物館が所蔵する丸形庇付ポストは4個、その内1個は昭和9年(1934)の差入口が拡大するタイプであり、残りの3個の製作年代は確認できない。
これらの丸形庇付ポストが回転式の改良型か、新規に作られたものであるかは次の点で確認できる。
回転式ポストにはその本体に二つの大きな特徴がある。一つは差入口下部の水抜きの穴、もう一つは回転盤と郵便物受棚を支える軸の軸受の穴である。
郵政博物館所蔵の丸形庇付ポストにはいずれにもこの特徴がない(図14)。そのため、このポストは、回転式ポストを改良したものはなく、新規に丸形庇付ポストとして製作されたものといえる。
9 おわりに
回転式ポストは、現存するものが1個しかないため、その存在はあまり知られていない。このポストの差入口が内部と連動して回転するという特異な構造は、盗難防止装置としては完全なものであったが、利便性という観点から短期間でその役割を終えてしまった。
しかし、円筒形の本体に顔のような円盤がついているというデザインは、世界のポストに類例を見ない日本独自のものとして、戦後の一号丸型ポストまで受け継がれた。
回転式ポスト以降のポスト製作者が、このデザインの持つ本来の意味を知っていたか疑問である。しかし、その機能とは関係なく回転式ポストの丸を中心としたデザインは、あまりに完璧で親しみやすいものであったために、広く日本国民に愛され、何の違和感もなく現在の1号丸型ポストまで踏襲されたものと考えられる。
- [参考文献]
「郵便差出箱(ポスト) のうつりかわり(その2)」『郵政省逓信博物館資料図録』№2(1975.3.1)
「郵便ポストの移り変わり(その1)」『郵政省郵政研究所附属資料館(逓信総合博物館)資料図録』№39(1989.3.8)
『郵便事業資料集』郵政省郵務局郵便事業史編纂室(1992.6)
井上卓朗「赤い郵便ポストの顔はなぜ丸い」『郵便史研究』第21号(2006.3)
井上卓朗(いのうえ たくろう 郵政博物館主席資料研究員)
(上記の肩書は2016年3月時点のもの)
(脚注)
1 郵便例規集 昭和11年 AEB/0604/1-1 逓信大臣官房文書課「逓信法規纂」郵便編中巻 昭和13年AEB/0266/1-1、郵便例規集昭和11年 AEB/0604/1-1
2 北海道開拓の村の旧島歌郵便局局舎前にも回転式ポストが設置されているが、これは北陸郵政局に展示されていた回転式ポストを複製したレプリカである。
文:井上 卓朗(いのうえ・たくろう)
郵便史研究会理事・学芸員(郵便史)。1978年郵政省へ入省、1983年逓信総合博物館に異動し、郵政三事業、電気通信事業に関する学芸業務に従事。2012年主席資料研究員、2016年郵政博物館館長などを歴任した。在職中は「ボストン美術館所蔵ローダー・コレクション展」などの企画を担当した。