戦後初の新規格郵便ポスト「1号丸型」の試作から完成まで―謎のレターポストの解明―

戦後初の新規格郵便ポスト「1号丸型」の試作から完成まで―謎のレターポストの解明―

井上 卓朗  郵政博物館 研究紀要 第6号(2015年3月)

*井上卓朗氏の過去の論文を原著者の厚意ならびに郵政博物館資料センターの許諾(令和4年度承認番号257号)を得て転載しております。本記事の図版の転載はお控えください。

1はじめに

丸い郵便ポストは、その存在自体が懐かしさを感じさせるものであり、日本人の心の原風景に欠かすことのできない存在となっている。

現在、日本各地で、このポストを中心に、村おこし、町おこしが行われており、愛好者によるポストの修復などさまざまな活動も行われている。その中心にあるのが、戦後すぐに開発された一号丸型ポストである。その中には、郵便・POSTではなく、郵便・LETTERと表記されている珍しいものも見つかっている。

本稿では、戦時中の代用ポストに代わる新規格ポストとして開発された、一号丸型ポストの試作から完成までの経緯を、新たな資料をもとに考察する。

2 開発の目的

郵政事業は、戦時中もかろうじて持ちこたえ、終戦までその機能を維持していた。郵政博物館所蔵の図1に示すはがきは、原爆が投下された長崎から熊本に送られたもので、消印は終戦当日の昭和20年(1945)8月15日となっている(1)。

多くの都市は、戦災により灰燼に帰し、文字通り焼け野原となっていた。戦時中、約7万6千個のポストの6%にあたる4千7百個が被災したと言われている。

戦後復興のために、郵便は必要不可欠なものであり、失われたインフラの復旧を急がねばならなかった。その最前線に位置する郵便ポストの復旧は最優先事項とされた。

逓信院は、終戦直後に通信復興本部(2)を設け、戦後復興に向けての体制を整えようとした。

昭和21年(1946)7月1日、逓信院が廃止され、逓信省が再度設立されたが、資材需給関係の悪化に対応するため、新たに資材局が設けられ、物品関係の管理事務を資材局長に集中させた。同日、通信事業物品制度調査委員会(3)が設置され、経営形態に即応する物品制度の運営方法を調査審議することになった。

新たな郵便ポストの研究は同年8月に開始された。その開発を担当したのが逓信省需品課用品研究所であった。開発の目的は、戦時規格の金属代用資材の欠点を一掃し、更に従来から構造、取扱ともに不便とされていた諸点を改良すること。また、どこの地域で製作しても全く同一の製品が確保出来るよう、詳細な構造設計を確立することにあった。

 

3 戦時下の代用ポスト

当時の代用ポストは、昭和12年(1937)に発生した日華事変の影響によって、資材不足により鉄製ポストの調達が困難となったため、研究試作が始められたもので、昭和14年から姿を見せ始めた。その材料は、リグナイト、サチナイト、コンクリート、陶器、木製品であったが、最も多く使われたのは、「コンクリート」(竹筋・鉄筋)であった(4)。

昭和16年には金属類回収令(5)が出され、鋳鉄製ポストが第2次官庁物資特別回収措置の対象とされたため、既設の鋳鉄製ポストを回収し、既に研究開発していた代用ポストを逐次配備していった。

それらは物理的、化学的強度が低く耐久性が劣悪であり、塗装に適さず、外観も不体裁で国民の信頼も薄かった。その上に戦災にあっていたため、正規の長期使用可能なポストを開発し、配備しなければならなかったのである。

4 郵便事業用品改善委員会の発足

このような事業用品の研究・改善については、明治25年(1892)に郵便博物館の母体となった郵務局計理課物品掛が行っていた。この掛は、物品及び郵便切手類の調製・配給を行う傍ら、機器機械類の改良・考案・設計も担当していた。

その後、逓信博物館において用品研究は行われるようになったが、昭和21年(1946)12月に逓信博物館の用品研究部門が逓信省総務局需品課に移管され、用品研究所となったのである。

前述のとおり新型ポストの開発は同研究所で行われたが、昭和22年(1947)6月に「郵便事業用品改善委員会(6)」が設置され、この委員会で、事業用品の改良・考案等について研究審議することとなったため、新型ポストの仕様等もここで審議されることとなった。

この委員会は、郵務局が主査を務め、総務局、資材局、官房監察課、東京逓信局、東京中央郵便局長、東京鉄道郵便局長、その他有識者から選ばれた臨時委員が構成メンバーとなっている。委員会には5つの部会があり、郵便ポストについては自動押印機、区分棚などとともに第1部会が担当した。

5 試作ポスト(レターポスト)の調製

研究開始から約1年半後、昭和23年(1948)1月15日に試作ポストの設計図(図2)が完成し、同年3月18日にその調製文書が立案された。

伺い文書には「右は現行のものについて改善方研究の処一応設計を了ったので、関係の向きと打ち合わせの結果、試作をなし、更に郵便事業用品改善委員会に於て検討の上規格を定めることにしたいから、別紙仕様書及図面により調製することに致したい」との記載があるため、郵便事業用品改善委員会の検討用として試作されたことが分かる。

試作品は、当初木製のところ、業者の都合で鋳鉄製となった旨が、朱書きで書かれている。しかし、仕様書では当初から鋳鉄製である。試作品の製作費をめぐって駆け引きがあったのかもしれない(7)。

発注先としては、協和産業株式会社が推薦されている。理由は、試作品の調製という性質上、鋳鉄製ポストの製作経験のある同社が好ましい、というものであった。

さて、その仕様は下記のとおりである。設計図面では、以前は胴体部分にあった郵便POSTの表記が無くなり、頭部に郵便と表示された。そして、差入口下部には「LETTER」と表記されている(図3)。

大日本帝国政府
郵便柱函(試作)仕様書

1 名称 郵便柱函
2 形状及寸法 別紙図面の通り(1948. 1. 15)
3 材質 主体は良質の鋳鉄を用い巣穴、不正等のないよう加工し、主体以外の金属部は軟鋼を使用する。
4 構造

(イ)頭部と胴体上部の組付けは内側から三本の丸頭ねぢで止め、胴体上部と下部の組付けは切缺部を合せて被せ、45度廻して一本の六角頭ねぢで四方向共自在に固定出来ること。
(ロ)取出口扉は下端二本の内側より差込むねぢピンにより主体に連結し、ここを中心として前下方に展開水平の位置で確実に止り、且つ裏面には錠前及便札差を取付け、なお錠前の厚さより梢高い滑り軌條を縦に数本と両側に袖を附すること。
(ハ)錠前は添付図示の鍵型を使用出来るようにすること。
(ニ)底板は杉材厚さ20粍程度のものを使用、上面を生子型に加工、中央二つ割り接合面は小孔接ぎとし、胴体内用に鋳出しの凸起によって前傾斜約5度に支えられ、なお上面位置は開扉裏面の軌條面を同一平面とする。
5 表記文字及模様  総て鋳物浮出しとする。
6 仕上、加工  各結合面及底面は、旋削或は仕上加工を施し密着を完全にすると共に全表面は適宜の方法で黒鉛を除去、金剛砥石で肌を平滑にする。
7 塗装  全金属部に燐酸塩処理を施し、黒色塗装部及び結合面以外はズボイド二回塗付仕上とする。また標記文字及模様浮出し面は不変色の金色塗装仕上とする。なお内側用ねぢ頭部差入口裏金物、取出口扉裏面渡し金等は黒色ヴァニッシュ二回塗とする。

なお製作の詳細については用品研究所の指示によること。
昭和二十三年三月

需品課用品研究所

 

鋳鉄製郵便柱函試案一号の設計の改良点について
(用品研究所23. 1. 15)(図4)

1  差入口と取出口の関係方向を九十度毎由に回転固定できるようにし、また各結合部止めねじは全部内側から締付けるようにする。
2  差入口下縁を直線にする。
3  取出口位置を十二糎程高め口径の縦横各々四糎程、胴径を五糎程大きくする。
4  取出口扉を前下方に開くようにし、概ね水平の位置に停止するようにする。
5  錠前を鍵形の異なる堅固なものにする。
6  底板保持に約五度の前傾斜をつける。
7  台石へ取付けの十文字型渡し金具は一文字の溝型鋼にする。
8  底面に凸立する三ヶの案内脚を廃止する。
9  郵便及びPOSTの表示の位置及び文字を変更する。
10  頭部の凸起及び外面の装飾はこれを廃止または省略する。

9項に郵便及びPOSTの表示とあるが、図面上はLETTERとなっている。

この文書は、同年3月25日に決裁され、試作ポストは名古屋市の協和産業株式会社に発注された。そして同年5月には試作品がほぼ完成状態となったので、用品研究所の担当官が現地へ出張し、その状況を確認している。

出張した担当官は、庇の溝の深さなど細かい部分を指摘し、さらに差入口下縁の山型を直線にするよう求めている。

6 試作ポストの完成と郵便事業用品改善委員会

この試作ポストが昭和23年(1948)6月に完成したため、同月29日に郵務局長室において第1回郵便事業用品改善委員会が開かれた。委員会では、完成された試作ポストを参考に、改良点の説明と質疑が行われた。事前説明の中には「在来品にあるPOSTの文字をMAIL又はLETTERに変えること」が含まれている。

質疑の内容は、従来品との概算額の比較、縦開きとした理由など構造に関する一般的なもので、差入口と取出口の上下を分離し回転できるようにした設計は、全員が評価している。

「ポストを広告塔に利用できないか」という質問に対し「研究したい」と研究所が回答しているが、後日、ポスト側面に枠を設け、事業周知、告知などの印刷物を簡易に挿入掲示出来るようにした。また、頭頂部に広告塔が設置できる構造としている。実現はしなかったが、頭頂部に設置する広告塔の設計図等も作成されている。

委員会での結論は、東京中央郵便局において、試作ポストの実用試験を行い、その結果をみることに決した。同委員会の参加メンバーの詳細は不明だが、郵務局規画課長、規画課職員、東京逓信局職員等が発言している。その他に、CCS、CPA、CPSという略語があり、CPA、CPSについては不明だが、CCSは連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の組織である民間通信局(Civil Communications Section)(8)と思われる。GHQ、SCAP組織図(9)によると、民間通信局内には総務課を筆頭に分析課、放送課、国内ラジオ課、国際ラジオ課、通信産業課、調査開発課、電信電話課、郵務課の9課があり、CPA、CPSとはCCS組織内の郵務課等を指すのではないかと思われる。

ともあれ、この議事メモから、郵便事業用品改善委員会にGHQ関係者が参加していたことが分かる。ポストの名称をLETTER又はMALIに変えるという案についても、彼らが関与していたのではないだろうか。

委員会の最後に、CPSが事業用品の全国的統一を図るよう指示している。

7 連合軍総司令部の助言

本題から外れるが、このCPSからの指示は、その半年後の12月15日に「昭和24年に設置を予定されている郵政省に資材局が設けられる場合の物品全般の取扱について考慮すべき事項」として、連合軍総司令部民間通信局郵政課長から逓信次官あてに提言されている。

「協議事項覚書」( 1948年12月15日逓信次官鈴木恭一、資材局長肥爪亀三と民間通信局郵政課長D・D・ダガンの協議に関して)(10)

主題 新設郵政省に資材局が設置される場合逓信省の考慮すべき事項に関する提言
1 東京逓信局資材局各倉庫其他諸郵便局の観察により次の如く提言する。
⒜ 資材局は総ての郵便事業用品の統一ある取扱に関し責任を持つべきこと。
⒝ 総て供給品目は他局から供される資料によって、資材局が調整する目録に記述され、番号により記入さるべきこと。
⒞ 各事業の用品とも出来るだけ統一すべきこと。
⒟ 同様の物品が、標準供給品目録によって得られるため、資材局長が購入を不得策と考える物品の要求に関し判決するため、大臣は各局から一名宛の委員を指定すべきこと。
⒠ 各県の大きな郵便局、或は倉庫は其の県の総ての郵便局に対する中央供給所として指定さるべきこと。郵便局の少ない県にあっては数県を一まとめにすることも出来る。
⒡ 製造業者から中央供給所への物品輸送の責任は製造業者にあるが、省はその費用を支払うこと、之等の物品を中央供給所から各郵便局へ輸送するには、公用郵便として郵便線路により、私設運送商社によらないこと。
⒢ 備品類倉庫其他大きな品目は、年度契約により製造業者と契約が出来る。資材局は年間の需要を見積り最低入札者と契約すること。之等の品目は前もって製造することができ、要求によって直接郵便局に送ることが出来る。
⒣ 郵便事業施設は、余剰物品並に余剰設備の表を資材局に提出し、資材局はそれを適当に記録すべきこと。総て物品設備の要求は資材局に提出され、資材局は余剰の物品設備を一郵便事業施設から他へ輸送するよう指令すべきこと。
2  此の協議の重要性にかんがみ、右の如く提言し、誤解を避けるためこの覚書の写しを鈴木恭一並に肥爪亀三に渡すものである。

郵政課長D・D・ダガン

司令部からの、この提言に対し、資材局では早急に対応し、次のような措置の実施を立案した。

「民間通信局郵政課長ダガン、鈴木次官、肥爪資材局長との協議事項覚書について」

(資材局需品課二三、一二、二五)

一九四八年十二月十五日、司令部に於ける右覚書に対しては左のとおり措置することといたしたい。

1 現在における資材、輸送、予算の実情よりみて、これが調達の限界を、本省調達品、郵政局調達品、郵便局調達品との三段階に分ち、さらにこれを事業用品と事務用品とに分類し、それぞれその調達責任の範囲を明確ならしむること。(a項、c項)
2 物品に対する調達上の経済化と処理の簡易化をはかるため、規格の統一をはかり、その仕様書を定めること。(a項、c項)
3 物品の使用量についても、その交付又は調達を合理化するため、一定の交付制限を定めること。(a項、c項)
4 物品目録をつくり、番号を附して(雑品類にして番号整理を不適当とするものは除く)物品の調達、出納、整理、使用の便に供すること。(b項)
5 物品は何れも使用部局から供せられる資料によって調製のこととすること。(常時必要とする物品で物品目録にあるものは、その数量のみにつき要求を受くるものとする。)尚これが要求の時期、要求の方法等については別に定めること。(b項)
6 使用部局よりする物品の要求は、原則として物品目録によることとし、ぜいたくなもの、不経済的なもの、規格外のものの要求はなるべく差控えさせること。前項の処理を円滑合理的に運行せしむるため、大臣直属の委員会を作ること。これが委員会の構成については別に定めること。(d項)
7 契約はすべて最低入札者と契約することとし、これが納入場所の指定についても倉庫等を考慮の上、大嵩な物品はなるべく郵便局へ直送すること。(g項)
8 地方郵政局より在庫貯蔵数量及所要過不足等の報告書を毎四半期毎に提出せしめること。右報告により過剰のものは他へ保管転換し、不足の向に対しては調達交付等の措置をすること(h項)

この措置は、郵政省設立後に物品管理、調達等に関する法規、規定類に反映され、実施された。

8 東京中央郵便局での試用

郵便事業用品改善委員会の決定を受け、昭和23年8月3日、東京逓信局長あてに試作ポストの試用依頼の文書が発送された。

依頼文書によると、試用期間は約1か月であり、その間、現行ポストと性能を比較し、その耐久力、利用上の便否についての具体的意見を報告するよう求めている。この試作ポストは東京中央郵便局に設置された。

約2か月の試用期間終了後、同年9月28日に性能比較と意見書が資材局長、郵務局長あてに提出された。その内容は次のとおりである。

東逓試用成績概要
1 縦開きの扉では、開函してから鞄を当てがうことこととなるので動作が反対となり、鞄の口金を当てる支えがないので掻出しに不便である。
2 扉を受台に利用する取出口は、郵便物が多い場合、開函と同時に郵便物が押出され、風、雨に曝され、又掻出中に袖外に溢れ落ちることがある。
3 開函のとき鍵穴が下へ向くため鍵が抜け落ちやすく、又開函は扉を押さえながら施錠することになるから能率が悪い。
4 頭部が回転式であることは設置に際し便利である。
5 鍵の位置は在来の方が便利である。
6 其の他 取出口の闕合部にゴムパッキングを用い、防水と緩衝を兼ねさせること。大型柱函が特殊地域に必要である。

9 試用報告に対する改善案

この試用結果の報告と意見に対し、同年10月に第2回の郵便事業用品改善委員会が開かれ、同委員会から次のような改善案が出されている。

1 1、2、3、及5については在来のとおりとする。
2 4については試作品の形式とする。
3 6については試作品の構造を変更することで支障を生じない。

委員会の改善案を解説すると、まず、試作品の縦開きの扉は不便であり、郵便物が外部にこぼれ落ちる恐れがあるなどの理由で採用せず、従来通り現行ポストと同じ横開きとする。

次に、上下を分離し、設置場所に適した差入口と取出口の向きを設定できるようにした試作品の形式は便利なので、試作仕様を採用する。

取出口の闕合部にゴムパッキングを用い、防水と緩衝を兼ねさせることと、大型柱函の必要性についての提案については、試作品の構造を変更することで対応する、という内容となる。

この改善案をもとに、新たな図面と仕様書が制作され、同年10月15日需第4084号により立案・決裁された後に、郵便事業用品改善委員会に提出された。

その要点は次のとおりである。

1 代用資材によらず鋳鉄製とした。
2 差入口と取出口が前後、左右の向きに転位固定出来る構造とした。
3 差入口及び取出口の庇を改善して降雨時の水はけをよくした。
4 取出口扉の接する面を特に防水防凍の構造とした。
5 取出口扉は従来通り右横開きとする。
6 差入口鏡板を外被せとし工作を容易とした。
7 取出口の位置を高めると共に、底板に傾斜をつけて掻出しを容易にした。
8 側面に枠をもうけ事業周知、告知などの印刷物を簡易に挿入掲示出来るようにした。

10 鏡板の表記文字

第2回郵便用事業品改善委員会は議事録がないため、検討内容の詳細は分からないが、添付図面には鏡板の表記にLETTER(図5、図6)のほかにLETTERS(図7、図8)もみられる。図面の摘要欄には、「外面赤、内面白、文字及紋章金色ニテ塗装ノコト」と記載されている。

11 第3回郵便事業用品改善委員会での決定

昭和24年(1949)1月31日、3回目の委員会が開かれ、最終的な規格について意見が次のとおりまとめられた。

昭和24年1月31日第3回郵便事業用品改善委員会経過抜粋

郵務局供覧(24. 2. 18)

⑵ 郵便柱函の規格について
1 鋳鉄製の場合の一つの規格として左の通り決定した。
a 上部を回転式とし設置の利便をはかる。
b 将来広告塔使用にかえて頭部の中心にねぢ穴をうがち平素はふたをしておく。
c 差入口の左側に周知事項等を掲示するための枠を作る。
d  差入口のLETTERSはPOSTに改め、周囲の小さな〒の字は別に適当な模様(桜の花等)に改める。
e その他は従来通りとする。
右の規格によるものは、主として郵便の利用が多く交通が頻繁な場所に設置し、その他の場所に設置するものについては別に考案する。

2  本年度における郵便函における郵便函の新規更改数は約2,000個であるが、銑鉄の割当(約80噸で500個作製の見込)が僅少であるので、不足分は従来の代用品(コンクリート製)によることとし、なお、次の点について研究する。
a 鋳鉄の厚さ(現在8粍)を出来るだけ薄くする。
b 銑鉄と軽合金とを合体したものを作る。

3 赤色塗料の不足に対し塗色の変更を研究する。
この記録は、委員会実施後に議事録から抜粋されて作成されたものであるが、その後の経過が赤字で次のように記入されている。
(赤字追記)
昭和24年度中に新規格品3,000個を調達し、代用品は調達しなかった。

なお、この時の鋳物の肉厚は、下胴が6粍、上胴が5粍で、仕上り重量は約100瓩(昭和製作所〔川口市矢田部社長〕以外の工場製品は125瓩程度)であった。

昭和25年度以降は郵政局調達に組替えられたが、規格については新しい意見もなく、ただ一般製造工場の技術水準に適合するよう肉厚を各1粍増したものとして調達させている。

同委員会での決定は報道発表されたようで、同年4月3日付通信文化新報(図9)に「スマートで能率上々の新ポスト」として、新しいデザインのポストが新年度に大都市の傷んだポストの復旧に採用される、と紹介されている。

鏡板の表記は、LETTERSではなくPOSTに修正されている。

12 新規格丸型ポストの誕生

同委員会の決定後、最終図面(図10)が昭和24年(1949)8月に完成した。同図面に基づき製作されたポストが図11、部品明細表が図12である。

新規格ポストの仕様は次のとおりである。

ポスト仕様書
1 品名 ポスト
2 用途 郵便物引受用
3 計上、寸法 本ポストは主体が上下分離できる円筒形中空で上部に差入口、下部に取出口を有し、根石に確実に取付出来る構造とすること。寸法は別紙製造図面(第28号組立図及第1526号乃至第1642号部品図)に基くこと。
4 材料 良質の銑鉄を用い、堅牢に鋳造し、調質後加工のこと。
5 加工 差入口を有する上部と、取出口を有する下部とが前後左右へ90度毎に円滑に転位固定出来ること。
差入口パネルの記章及文字は浮出しとすること。
取出口扉は右開きで便札差は裏側に設け開閉錠は当局交付のものを取付けること。
上部左側面に表示枠を設け所定の式紙を挿入できること。
外部塗装は黒鉛及銹を取除き下地を平滑に仕上げズボイド下塗后色見本指定の朱色(バーミリオン)ペイント3回以上塗布し、記章及文字は白色仕上げ、内部はズボイド2回塗の上白色塗とする。

6 其の他 完成総重量は130瓩以上とする。(但し渡し金、取付ボルト、根石を除く)構造及材質上、鋳造、加工、着手前に当局の指示を受けること。
製造上必要と認めたときは現場指導をすることがある。
(表面積は1.7平方米)
昭和24年 郵政大臣官房資材部

前回の検討案と比較して、仕様書や図面、部品明細表から改良されたと思われるのは、差入口にホーロー引滑り板を設け、投函しやすさと汚損を防ぐ工夫をした点と、差入口庇の先端に細い溝を作り雨滴が正面から落ちないように工夫した点である。また、天頂部にネジ穴(通常は蓋で隠す)が設けられ、将来広告塔が取り付けられるようになっていた。

広告についてはかなりこだわりがあったようで、側面にも表示板が取り付けられている。

これは、郵政用広告取扱規則(省令24. 8. 24)及び細則(同日告示第132号)によりポストを広告媒体としたための措置と考えられる。

この図面は、同年10月3日に立案、同月12日に決裁され、13日に郵用第90号で全国の郵政局に通達された。

郵便差出柱箱の改善要領(25. 2. 27)によると、昭和24年(1949)11月から配備用ポストの調製にかかり、同年12月から配備を開始、翌年2月末には3,800基の新規格ポストが設置されている。昭和25年(1950)2月15日に新規格ポストの全国調達数調査を行っているが、その結果は表1のとおりである。

13 郵便差出箱の規格・制式の改正

昭和24年度末から配備が開始された新規格ポストの仕様は、昭和26年(1951)1月18日の公達第7号によって正式に定められ、告示第160号(26. 5. 12)によって告示された。この公達によって明治41年(1908)10月公達808号の旧様式は廃止された。

この新規格のポストの名称は「郵便差出柱箱」である。郵便ポストが型式でよばれるようになるのは、昭和35年(1960)4月11日の公達第24号でポストの種類別名称が定められてからである。この時の名称は郵便差出箱1号であった。

現在、一般的に使われている「1号丸型」という名称は、昭和45年(1970)11月26日公達64号による規格改正からで、理由は丸型に代わる角型が登場したからである。これを区別するために郵便差出箱1号丸型、郵便差出箱1号角型の名称が付けられたのである。

14 現存するレターポスト

新規格ポスト開発時に製作されたと思われるレターポストは、現在、香川県善通寺市、長野県塩尻市、千葉県白井市に現存している。これらのレターポストの形式は、最初期の試作ポストではなく、昭和23年(1948)10月立案の図面に近いが、鏡板に〒マーク紋様がない。この時期に提出された改善意見をもとに、第二段階の試作ポストが製作されたものと考えられる。

おわりに

このポストが開発された時代は、現在ではとても想像がつかないような社会状況であったのだろう。ここでは詳しい説明を省くが、昭和20年代初期の事象を記録した書籍は、酸性が強い材質の悪い紙に印刷されているため、現在では触るだけでポロポロと砕けていきそうな状態で残されている。

その当時の書籍のひとつ、昭和24年(1949)逓信省資材局発行の『逓信資材の知識』は、逓信省全般のさまざまな資材に関する研究書であるが、その中に次のような記述がある。

「当時は平和の鐘が鳴り民主主義を相言葉に旧思想の脱却に社会は怒涛逆巻く混乱其の極に達し、将来否明日の事もわからないような社会不安を醸し出している状態であって、各都市には露店に闇市の氾濫を見、加えて西日本を襲った台風に主食は天井知らずに値上りを見せ、終戦後の世相を反映してか道義は全く地に堕ち強盗頻りに出没する状態であり食料の不安は漸次表面化し、餓死する者東京、横浜、名古屋、京都、神戸、福岡等に激増する有様であった」このような中、「朝に粥をすすり昼に芋を食べ、そして毎食のように代用食で間に合わせ超満員の電車に汽車にもまれて命がけで通勤し、加えて社会状態はひっ迫を告げる真っ只中に、我々は準備万端なって、一瞬も油断のならぬ事務の取扱いを開始し、小船は大海に出た」(11)

これは「通信資材調査部の足跡」と題された論文の一節であるが、占領下における物資欠乏状態の中、命がけで物資を確保し通信の戦後復興を果たすという決意と使命感にあふれている。

戦時中の代用ポストに代わる新規格ポストは、このような社会情勢の中で開発され、配備されていったのである。現在でも第一線で活躍しているものが数多くあり、その役目を果たしながら地域住民に親しまれている。

最後に、貴重なレターポストの写真をご提供いただいた若林正浩氏に深く感謝申し上げます。

(いのうえ たくろう 郵政博物館主席資料研究員)
(上記の肩書は2015年3月時点のもの)

井上卓朗さん近景文:井上 卓朗(いのうえ・たくろう)
郵便史研究会理事・学芸員(郵便史)。1978年郵政省へ入省、1983年逓信総合博物館に異動し、郵政三事業、電気通信事業に関する学芸業務に従事。2012年主席資料研究員、2016年郵政博物館館長などを歴任した。在職中は「ボストン美術館所蔵ローダー・コレクション展」などの企画を担当した。

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