「日本文明の一大恩人」前島密の思想的背景と文明開化(後) 2024.02.13 日本郵便史の知識 「日本文明の一大恩人」前島密の思想的背景と文明開化(後)井上卓朗郵政博物館 研究紀要 第11号(2020年3月)この記事は次の記事をお読みになると、より楽しめる内容となっています。「日本文明の一大恩人」前島密の思想的背景と文明開化(前)【4】前島密の思想(1) 自由な思考から
「日本文明の一大恩人」前島密の思想的背景と文明開化(前) 2024.01.21 日本郵便史の知識 「日本文明の一大恩人」前島密の思想的背景と文明開化(前)井上卓朗郵政博物館 研究紀要 第11号(2020年3月)【1】はじめに「日本文明の一大恩人」前島密(1835~1919)は1円切手印面の肖像として親しまれ、日本の郵便の父として広く一般に知られている。しかし、大正11(192
日本最古の郵趣家団体「郵楽会」と記念絵はがきの制作 2022.12.25 日本郵便史の知識 日本最古の郵趣家団体「郵楽会」郵楽会は日本最古の郵趣団体とされます。この団体は明治45年7月に、東京・神田の和田商店に通う顧客だった河西瑛が店主和田鋳三郎に同好者の集まりをつくることを相談したのがきっかけとなって成立しました。相談を持ち掛けられた和田は、自店の熱心な顧客、木村梅次郎、柴田常吉、宇
前島密が駅逓頭に再任された経緯は?|明治4年 2022.04.15 日本郵便史の知識 前島密の帰国前島 密は明治4年8月11日(西暦1871年9月25日)に米国経由で帰国しました。その前日、駅逓司が三等寮に昇格し大蔵省駅逓寮になり、杉浦 譲*の後任の浜口成則が駅逓頭に就いています。さっそく前島は浜口に面会したのですが、浜口は「通信の事は已に飛脚屋あり。官営は予の可とする所に非ず」
郵便創業前夜と前島 密|明治2-4年 2022.03.25 日本郵便史の知識 幕臣時代の前島 密前島密(1835~1919)は天保6年、越後国頚城郡下池部村の旧家に生まれました。医師を志し12歳で江戸に出たのですが、嘉永6年に黒船来航を目のあたりにして、砲台や港湾を見分する全国の海岸線を辿る旅に出ました。兵法・砲術・機関学などを学んだあと、函館の武田斐三郎に入塾、箱館丸で