前島密の帰国
前島 密は明治4年8月11日(西暦1871年9月25日)に米国経由で帰国しました。その前日、駅逓司が三等寮に昇格し大蔵省駅逓寮になり、杉浦 譲*の後任の浜口成則が駅逓頭に就いています。さっそく前島は浜口に面会したのですが、浜口は「通信の事は已に飛脚屋あり。官営は予の可とする所に非ず」と答えたのでした。
前島が再び駅逓頭に
そこで前島は井上馨大蔵大輔に対して西洋における郵便の状況を報告し、郵便近代化を自ら推し進めたいと申し出ました。その結果、浜口は和歌山県大参事に転出し、前島が駅逓頭に就きました。前島は、わが国の郵便や陸運をはじめ交通全般の近代化に向けて取組みを開始したのです。
*前島 密の後任として駅逓頭となった。
文:近辻喜一(ちかつじ・きいち)
郵便史研究会会長。『新版・明治郵便局名録』(鳴美、2015年)校訂者として知られ、一般の方にも親しみやすい郵便史の解説で定評がある。多摩地域を中心とする郷土史研究者としての顔も持つ。