日本最古の郵趣家団体「郵楽会」と記念絵はがきの制作

日本最古の郵趣家団体「郵楽会」

郵楽会は日本最古の郵趣団体とされます。この団体は明治45年7月に、東京・神田の和田商店に通う顧客だった河西瑛が店主和田鋳三郎に同好者の集まりをつくることを相談したのがきっかけとなって成立しました。相談を持ち掛けられた和田は、自店の熱心な顧客、木村梅次郎、柴田常吉、宇津木武夫に相談し、活動としては毎月16日を例会日と定め、和田商店で例会を開きました。

郵楽会が後世に名を残すことになったのは、機関誌「郵楽」を発行し、それによって全国に会員をもつ切手収集家の団体へと成長することができたためです。機関誌を通じて、組織の執行部と会員を結びつけるだけでなく、様々な有益な情報が広く会員に提供、伝達され、さらに誌面を使って会員相互の交流もはかることもできました。このほかにも郵楽会は切手展を主催したほか、本格的な日本切手カタログの最初とされる『大日本郵便切手類鑑』初版(計6回の版を重ねた)を刊行し、刊行物は国際切手展に出品しました。このように郵楽会が現在につながる「日本郵趣界」の仕組みを初めて体系化することになります。

郵便創始五十年紀念

郵楽会は他の団体と同様に、さまざまな記念絵はがき類を制作・販売しました。当時、世界的な絵はがきブームの時代であり、今でいえば、SNSのようなメディアとしての役割を果たしていました。大正の終わりから昭和初期にかけて、当時としては高品質なカラー印刷で数々の絵はがきを出版し、郵便創業以来の日本切手の魅力を広く発信していました。

ここに示す郵便創始五十年紀念大正10年4月20日に2種1組 袋入り 15銭で発売されました。1種が龍文切手から旧小判切手まで7種を組み合わせたものでした。もう1種は前島密の銅像と時の逓信大臣野口卯太郎の肖像を組み合わせたものでした。

(図版協力:安藤源成氏)

フランス・ジョッフル元帥来日記念

こちらは大正11年1月に2種1組10銭で発売されました。フランス・ジョッフル元帥は皇太子(昭和天皇)の欧州訪問に対する答礼使として家族同伴で来日し、東京や関西を訪問しました。フランス・ジョッフル元帥の肖像を描く、フランス切手協会が第1次大戦中に作製したポスタースタンプ(切手状に印刷した宣伝用のシール)を拡大したものとなっています。

(図版協力:安藤源成氏)

皇太子殿下御婚儀況典記念切手

大正13年4月18日発行です。解説書とも2種1組が10銭で発売されました。関東大震災でその大半が焼失してしまったために不発行となった皇太子殿下御成婚記念切手4種をカラー印刷したもので、解説カード付きで発行されました。

(図版協力:安藤源成氏)

郵楽会主催第2回郵便切手展

こちらは東京・飯田橋にあった逓信博物館(現在の郵政博物館の前身)で開催された切手展の記念絵はがきです。郵楽会が大正15年3月13日に2枚1組・10銭で発行したもので、木村梅次郎の写真、前島密の立像・逓信博物館が図案化された1枚と、竜文切手から戦前の記念切手までの切手がカラー印刷された1枚から構成されています。

(図版協力:安藤源成氏)

万国郵便連合加盟五十周年記念

日本が万国郵便連合に加盟したのは、明治10年2月19日のことでした。日本は独立国としては世界で23番目、アジアでは最初に加盟した国でした。そのため、日本における「万国郵便連合加盟記念日」は2月19日ということになります。日本は第二次世界大戦中に脱退し、昭和23年6月1日に再加盟しています。昭和2年が明治10年の加盟からちょうど50年を迎えたことから、記念切手4種が発行されました。郵楽会が発行した「万国郵便連合加盟五十周年記念」の4枚組・たとう入りのはがきは当時新しく発行された記念切手や特印などと組み合わされて収集家を楽しませてくれました。

万国郵便連合加盟五十周年1

万国郵便連合加盟五十周年2

万国郵便連合加盟五十周年3

(図版協力:安藤源成氏)

これらの絵はがきはすべて、木村梅次郎が社長を務める日本美術写真印刷所の印刷で、すぐれたカラー効果を出しています。

参考文献:『日本郵趣史 明治初期から終戦まで』(天野安治、日本郵趣協会、2012年)

 

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