郵便創業前夜と前島 密|明治2-4年

幕臣時代の前島 密

前島密(1835~1919)は天保6年、越後国頚城郡下池部村の旧家に生まれました。医師を志し12歳で江戸に出たのですが、嘉永6年に黒船来航を目のあたりにして、砲台や港湾を見分する全国の海岸線を辿る旅に出ました。兵法・砲術・機関学などを学んだあと、函館の武田斐三郎に入塾、箱館丸で日本周回の航海実習を2回経験します。慶応2年に幕臣前島家を継ぎ、維新後、徳川家が移封された静岡藩の留守居役、公用人、遠州中泉奉行を歴任しました。

下田

伊豆・下田の光景

在日外国郵便局の存在

安政6年(1859)の開国にともない、日本の開港地にはイギリス、フランス、アメリカの領事館が開設され、横浜、長崎、兵庫などで本国との間の郵便業務を取り扱っていました。自国の郵便切手を貼った手紙を自国の郵船で運ぶ、治外法権の領事館郵便であるが、幕府・新政府とも欧米駐在の高官との通信に利用しました。前島もこうした在日外国郵便局の活動は知っており、郵便創業のモデルの1つとなりました。

明治維新と郵便創業

前島は、明治2年末に明治政府から改正掛勤務を命じられました。改正掛長は渋沢栄一、メンバーは杉浦譲など旧幕時代に外国出張を経験した静岡藩の俊英が中心でした。改正掛は、いわば明治政府のシンクタンクで、前島は、翌年1月からの半年間にさまざまな仕事を手掛け、京浜間鉄道建設のための概算書「鉄道臆測」をまとめています。

明治3年4月に租税権正となり、5月には駅制改革のため、駅逓権正兼務を命じられました。前島は、着任早々、公用状の飛脚賃銭支払いの回議文書をみて、両京間の飛脚委託経費が月額千五百両ほどと知り、これを原資にすれば官営郵便の創設が可能と考え、6月はじめに「郵便創業の建議」を行っています。

駿府城

静岡県静岡市の駿府城

郵便創業時はイギリス出張

その直後、前島は鉄道借款・新紙幣製造の案件でイギリスに出張することとなり、駅逓権正の兼務を解かれました。イギリスは、1840年にローランド・ヒルの改革により、切手による料金前納と均一料金制度を世界で最初に実施した国で、郵便局では、郵便だけでなく、郵便為替、郵便貯金、郵便保険も実施していました。

前島は、2人の留学生とともにロンドンの個人教師宅に下宿し、公務の合間に郵便局の職員に話を聞いたり、実際に利用するなどして、郵便局の業務を学んだのです。

ロンドンの街並み

イギリス・ロンドンの街並み

文:近辻喜一(ちかつじ・きいち)

近辻喜一さん郵便史研究会会長。『新版・明治郵便局名録』(鳴美、2015年)校訂者として知られ、一般の方にも親しみやすい郵便史の解説で定評がある。多摩地域を中心とする郷土史研究者としての顔も持つ。

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