郵便の中央集権化と合理化|明治16-19年

はじめに

やや専門性が高い記事内容ですが、(1)明治16年に郵便事業が府県から中央官庁の直轄で行われるようになったこと、(2)郵便事業の赤字体質を克服するための合理化施策が行われたことの2点を抑えていただければと思います。(編)

(以下、近辻喜一氏による解説)

駅逓区編制法の概要と意義

この時期、全国規模となった郵便事業を一体として統一的に運営していくためには、各府県の郵便掛を経由しないで、中央の駅逓局が全国の郵便局を管理して、事業を効率的に運営していくことが必要となってきました。その結果、明治16年2月、駅逓区編制法が制定されました。編制法では、まず、全国を五二の駅逓区に分割し、それぞれの駅逓区を郵便区に細分化しています。それぞれの郵便区に1つの郵便局を置くこととされました。

次に、全国35ヵ所に順次設置された駅逓出張所が46の駅逓区を管理することになりました。残り6つの駅逓区(東京、千葉、水戸、宇都宮、甲府、沖縄)は駅逓局(本局)が直接統括しました。主な業務を挙げれば、郵便区画の調整、郵便局・郵便受取所・郵便切手売下所・郵便函場・為替局貯金預所の配置変更の取調、逓送集配方法の取調、貯金預所受書保証書などのとりまとめです。

駅逓区編制法141丁の冒頭部分

駅逓区編制法141丁の冒頭部分

郵便の合理化施策とその結果

郵便条例が制定された明治16年から明治18年にかけて、さまざまな改善が行われ、それらが規定類に文章化されていきました。明治18年には、郵便区市内規画法・郵便物集配等級規定・郵便物逓送時計取扱規則・郵便線路規程*・郵便函場配置準則・汽車郵便逓送規則などが制定されました。このうち、「郵便物集配等級規定」は、市内に配達する郵便物数により、市内・市外の一日の配達回数を規定するもので、一等集配は東京のみで、毎日市内12度、市外1度でした。八等集配は、毎日市内1度、市外1度でした。

これら合理化の結果を、明治19年の数字で見てみましょう。郵便局数は4693局、郵便ポスト設置数は24,442ヵ所、切手売捌所数は24,533ヵ所、郵便線路キロ数は47,004キロと、ピーク時の数字に比べて、それぞれ17%、5%、6%、13%と大幅に減少しています。一方、通常郵便物の取扱数をみると、明治16年に1億通あったものが、明治19年には1億2000万通と増加しています。また、明治15年度から赤字となっていた郵便事業収支は、明治19年度から改善され、黒字に転換していました。この時期、わが国郵便の事業基盤が固まった、といってもよいでしょう。

郵便線路:郵便線路とは郵便物の逓送経路のことである。今回、郵便線路を「大線路・中線路・小線路」の三線路に区分することにした。郵便線路の区分見直しは、郵便物の逓送を全国的に管理し効率的に行うことが狙いで、大中の二線路上の差立局間の逓送時間と差立時刻が定められた。

福島県下郷村の大内郵便局(五等郵便局)は合理化の中で、明治17年に廃止された。

文:近辻喜一(ちかつじ・きいち)

近辻喜一さん郵便史研究会会長。『新版・明治郵便局名録』(鳴美、2015年)校訂者として知られ、一般の方にも親しみやすい郵便史の解説で定評がある。多摩地域を中心とする郷土史研究者としての顔も持つ。

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