麻布台ヒルズ森JPタワー(旧麻布郵便局跡地)の地で生まれた「音楽の殿様」徳川頼貞について

麻布台ヒルズ森JPタワーは、かつての紀州徳川家が設立した私立図書館の南葵文庫および麻布郵便局の所在地に立っています。この場所は、ロシア大使館の向かいであり、狸穴坂といった地名なども興味深いのですが、もう1つ紀州徳川家とのゆかりのある土地としての側面も持ちます。

南葵文庫の設置経緯と南葵音楽文庫の設立

紀州徳川家15代当主の徳川頼倫(よりみち)は、明治35年(1902年)に東京飯倉の邸内に南葵文庫を設立しました。明治41年(1908年)からは私立図書館として一般公開され、その蔵書は徳川家伝来の書籍およびその後の収集書を含む合計7万冊に達しました。紀州徳川家15代当主の徳川頼倫は御三卿の一つ田安家の生まれですが、「音楽の殿様」として知られる16代当主(頼倫の長子)の徳川頼貞(1892年8月16日 – 1954年4月17日)はまさに麻布台ヒルズ森JPタワーの地で生まれた人物です。

葵の紋

徳川頼貞は学習院中等科を卒業後、大正2年(1913年)にヨーロッパ留学へ出発し、ケンブリッジ大学音楽理論科に入学しました。エドワード・ネイラー、チャールズ・ウッド、チャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォード、シリル・ルーサム、エドワード・ジョゼフ・デント、ジョン・ウォルトン・キャップスティックらに師事しました。在学中、音楽堂の設計に感銘を受けました。さらに帰国後、父頼倫が南葵文庫に講堂を計画していることを知り、頼貞は音楽堂の建設とパイプオルガンの設置を進めたのです。こうして大正7年(1918年)に南葵楽堂(正式名称は南葵文庫附属大礼紀念館)が開堂し、頼貞が留学中に購入した楽譜や音楽書は楽堂の半地下に配架されました。南葵音楽文庫は、カミングス・コレクションを母体とし、貴重な音楽書や楽譜のコレクションを擁していました。

しかし、大正12年(1923年)の関東大震災により南葵楽堂は損壊し、使用不能となりました。楽堂のパイプオルガンは昭和3年(1928年)に東京音楽学校へ寄贈されました。また、父頼倫の「南葵文庫」は大正13年(1924年)に東京帝国大学図書館に寄贈されましたが、音楽関係の蔵書は頼貞の所管に移され、旧南葵文庫事務所で「南葵楽堂図書部」として公開されました。大正14年(1925年)、図書部は「南葵音楽事業部」と改組され、コレクションは「南葵音楽図書館」となりました。しかし、昭和7年(1932年)に徳川家の財政事情により図書館は閉館し、コレクションは慶應義塾図書館に移管されています。

紀州徳川家の苦しい財政事情

こうした背景には徳川頼貞の派手な生活がありました。徳川家理事の上田貞次郎はこの点について苦言を呈し、「頼貞侯も大いに節約の意志はあるが実行はできない」と述べています。また、紀州徳川家の財政問題を説明するために徳川家達に呼び出されましたが、家達は何の反応も示さなかったといいます。このような状況にもかかわらず、頼貞は派手な生活を続けました。

上田貞次郎から徳川頼貞宛ての手紙の外封筒。軽井沢郵便局から昭和5年8月に発信され、翌月にロンドンへ到着した。

上田貞次郎から徳川頼貞宛ての手紙。浪費を諫める旨の文言がみられる。(横浜市 大高正志所蔵)

なお、徳川頼貞は、ユネスコ国会議員連盟会長や全日本音楽協会会長など多くの役職を歴任し、日本の音楽文化の発展に大きな影響を与えました。戦時中はフィリピンで文化活動に従事し、戦後は参議院議員として活動しました。日本楽壇の発展に尽力し、多くの音楽家に影響を与えました。特に深井史郎や吉田隆子などの若手音楽家の育成に貢献し、「音楽の殿様」と称されました。頼貞の音楽に対する情熱と努力は、今もなお日本の音楽史において重要な位置を占めています。

逓信省貯金局庁舎、麻布郵便局を経て麻布台ヒルズ森JPタワーへ

続いて麻布郵便局について見ていきましょう。麻布郵便局は、明治4年(1871年)に麻布区麻布宮下町に内田喜兵衛切手売捌所として開設されました。翌年、麻布郵便取扱所となり、さらに麻布郵便仮役所、麻布郵便分局、麻布郵便支局、東京麻布郵便支局、東京麻布郵便電信支局と変遷を重ねました。明治39年(1906年)には麻布郵便局に改称され、地域の郵便業務を担いました。その後、昭和20年(1945年)、戦災による焼失により、昭和5年(1930年)に竣工した旧逓信省貯金局庁舎に移転しました。この建物は旧大蔵省営繕管財局が設計し、銭高組が施工したものでした。昭和18年(1943年)からは逓信省本省庁舎として使用され、昭和24年(1949年)の郵電分離に伴い、郵政省および電気通信省本省庁舎として使用されました。

昭和26年の麻布郵便局の風景印

昭和26年の麻布郵便局の風景印

郵政省本省庁舎が千代田区霞が関へ移転した後、飯倉ビルおよび麻布郵便局庁舎として使用され、民営化後も日本郵政グループの組織が入居していました。しかし平成30年(2018年)には再開発のため、麻布台一丁目7番3号のVORT神谷町Ⅱに一時移転しました。令和元年(2019年)、旧飯倉ビルは解体され、その跡地には高さ325mの麻布台ヒルズ森JPタワーが建設されました。令和5年(2023年)11月27日、麻布郵便局は森JPタワーの4階に移転し、名称を「麻布台ヒルズ郵便局」に改称しました。

麻布台ヒルズ森JPタワーと東京タワーのある夜景

麻布台ヒルズ森JPタワーと東京タワーのある夜景

麻布台ヒルズ森JPタワーは、かつての南葵文庫および麻布郵便局の歴史を引き継ぎ、現代のビジネスと商業の中心地として発展していますし、郵政関係者にとっては思い出深い場所といえるでしょう。紀州徳川家だけでなく、周辺のロシア大使館や狸穴坂といった歴史的・文化的要素に独特の感慨を覚える方も少なくありません。

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