関東大震災と震災切手|大正12年

関東大震災と郵便関連施設の被害

大正12年9月1日の関東大震災で、逓信省、貯金局、簡易保険局などが焼失し、京浜地区の郵便局、電信局の大半が被災しました。被災した郵便局は197局にのぼり、京浜地区の郵便業務は壊滅状態におちいりました。貯金局被災により貯金原簿ほか一切の関係書類が焼失しています。

震災発生直後から、軍用機や民間航空機が品川-静岡江尻間、代々木-立川間、横浜-代々木間で郵便物を空輸し、被害状況を知らせる緊急の通信が全国各地の親類・知人・取引先へ届けられました。また、封書などに「罹災通信」と朱書すれば、その郵便料金を受取人払いとする措置などがとられました。

壊滅的な被害

暫定切手の製造

逓信本省の切手倉庫に保管してあった、大量の郵便切手、郵便葉書、印紙がすべて焼けたため、いそいで補充する必要がありました。抄紙、印刷両工場とも壊滅した印刷局では、切手の用紙と印刷を民間会社に委託して、平版印刷による裏糊、目打のない暫定切手を製造することになります。用紙は三菱製紙高砂工場(兵庫県)、印刷は大阪の精版印刷(現在の凸版印刷)が請負い、製品は12年12月までに全量が納入されました。ついで、東京の秀英舎(現在の大日本印刷)が三菱製紙中川工場(東京)の用紙を使い、翌13年3月に納入します。また、平版印刷の小型葉書も精美堂(現在の共同印刷)が12年11月に納入を開始、さらに凸版印刷二長町工場で追加印刷されました。

この「震災切手」は大正12年10月25日、「震災はがき」は同年11月15日の発行です。印刷局の復興は予想より早く進み、焼失をまぬがれた原版を使用して、大正13年5月頃より震災前と同様の正規の切手が発売できるようになりました。使用に不便な震災切手はたちまち売れ残り、大正13年9月末には売捌き停止、翌年4月末には廃止となりました。評判の悪い震災はがきに替わって、大正14年5月に再び分銅はがきが発行されました。その際、はがき下部に印刷されていた銘版が削除されています。

震災はがきを年賀状として使用したもの(東京・調布 大正13年1月1日)

文:近辻喜一(ちかつじ・きいち)

近辻喜一さん郵便史研究会会長。『新版・明治郵便局名録』(鳴美、2015年)校訂者として知られ、一般の方にも親しみやすい郵便史の解説で定評がある。多摩地域を中心とする郷土史研究者としての顔も持つ。

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