万国郵便連合への復帰
占領下の日本を象徴する出来事として、第12回万国郵便連合(UPU)大会議が昭和22年5月パリで開催されたことを紹介します。敗戦国の日本は大会議には招かれず、代わりにGHQの職員が参加したのでした。大会ではUPUが国際連合の機関となることが決定され、新たな万国郵便条約が締結されました。わが国はGHQの承認を受けて条約に加入しました。これは日本にとって戦後初の国際条約の締結となり、国際舞台への復帰は郵便からとなったのです。
逓信省から郵政省へ
昭和24年6月1日、郵政省が誕生しました。逓信省がGHQの指摘を踏まえ、郵政省と電気通信省の二省に分割され、郵便・貯金・保険の3事業を郵政省が、電信・電話事業を電気通信省が所管することになりました。
記念特殊切手の販売
郵政省の設置前後は記念特殊切手の発行がとても多い時期でもありました。料金値上げが物価高騰に追いつかず、戦後の郵便事業は大きな赤字を抱えるようになり、一定の収入が見込める記念切手の発行に踏み切ったのです。昭和23年から切手趣味週間の切手がお目見えし、第一陣は菱川師宣の「見返り美人」、翌年第二陣として安藤広重の「月に雁」が発行されました。その後、野口英世などを描いた文化人切手18種類、蔵王など10ヵ所の観光地を描いた切手、戦前からはじまった国立公園切手の発行も復活しました。記念切手の発行総額が10億円を超す時期は昭和24年度から3ヵ年でした。
郵政からみた自主権回復
昭和27年4月28日には、サンフランシスコ平和条約が発効しました。条約発効に伴い、日本の主権が回復し、GHQが出していた指令や命令や覚書などが失効しました。郵便関係でも、さまざまな場面でGHQから指令などが出されていましたが、日本の独立でこのGHQの軛から解放されることとなったのです。
文:近辻喜一(ちかつじ・きいち)
郵便史研究会会長。『新版・明治郵便局名録』(鳴美、2015年)校訂者として知られ、一般の方にも親しみやすい郵便史の解説で定評がある。多摩地域を中心とする郷土史研究者としての顔も持つ。