名勝史跡や特産品等にちなむ風景印(風景入通信日付印)とは

風景印は特別日付印の一種

風景印は全国各地の約11,000の郵便局に配備されている図案入りの特別日付印*の一種で、正式名称を「風景入通信日付印」(ふうけいいりつうしんにっぷいん)といいます。通常の場合、鳶色とよばれる赤茶色のインクで証印され、直径36ミリ以内の円形が基本ですが、中には変形風景印と呼ばれる特異な形状のものも存在します。名勝史跡や特産品等にちなむ図柄などが紹介され、切手収集や郵便局めぐりを趣味とする人だけでなく、観光客や旅行者などにも広く愛されてきました。

風景印については「風景印~とび色の誘惑」などの専門サイトもあるほか、「風景印の風来坊」こと、フリーライターの古沢 保氏の活動を通じて、一般にも広く知られるところとなりました。そのほかにもさまざまな情報コンテンツで紹介されているため、ここではレトロ郵便局の時代を理解するのに役立つ要素に絞り、特に郵政の視点から専門家向けの解説を試みることにします。

*特別日付印は平常使用する普通日付印以外の消印です。風景入通信日付印以外の特別日付印としては、特殊通信日付印(特印)、小型記念通信日付印(小型印)、初日用通信日付印(絵入りハト印)があります。

昭和26年の横須賀郵便局の風景印。ノーマルな丸形の風景印。

風景印は昭和6年7月に使用開始

風景印は日本が当時支配していた中国・関東州で先行して使用開始(昭和6年4月1日)されました。内地における使用局の全国1号は冨士山郵便局(静岡県)と冨士山北郵便局(山梨県)の2つの季節局で、いずれも昭和6年7月10日に使用開始されました。風景印の最初として、この富士山・富士山北の2局を挙げるのが一般的です。同月中には、横須賀郵便局、日光郵便局、江之島郵便局、伊香保郵便局、筑波山郵便局、上高地郵便局でも使用を開始しました。日本を代表する景勝地・観光地のほか、軍港などの国策上重要な場所も含まれていました。

昭和6年の旅順郵便局(中国・関東州)の風景印

「名所旧跡等ニ因メル図案ヲ挿入シタル通信日附印ヲ使用ス」(昭和6年7月7日逓信省告示第1400号)と読んでも、ピンと来ないかもしれませんが、これがいわゆる「戦前風景印」の法的根拠となる告示に出てきたときの説明です。ちなみに、当該の告示は逓信大臣小泉又次郎の名で行われました。郵政民営化を唱えた小泉純一郎の祖父に当たります。

昭和7年の箱根・宮ノ下郵便局の風景印。特異な形状の変形風景印となっている。

「風景入通信日付印」は昭和26年から

風景印は戦時中、昭和15年11月15日限りで廃止されました(例外あり)が、戦後復興期の昭和23年1月1日から東京中央、鎌倉、熱海、厳島など24局で復活しました。戦前の「図案ヲ挿入シタル通信日附印」を改めて、「風景入通信日付印」(風景印)という名称になったのは、昭和26年5月31日郵政省告示192号によります。郵政省時代の風景印の法的根拠となった重要な告示なので、ここではあえて全文を紹介したいと思います。やや専門的ですが、本告示の第2項第2号にあるとおり、風景印の使用局、形式、使用開始年月日がそのつど官報や郵政公報で告示されていた**ことは重要です。

昭和26年5月31日郵政省告示192号及び193号

また、風景入通信日付印の使用は、地方郵政局長(現在の支社長に相当)が決定し、現品も地方郵政局で調達することとなっていました。そのため、風景印の配備率や配備局数は地域ごとに大きな偏りがみられます。このあたりの知識や経験則の部分もレトロ郵便局の成り立ちを理解するのに役立ちます。

**風景印(丸形)の使用開始は平成元年6月1日で原則として官報に掲載されなくなり、変形風景印についても平成6年3月末で告示が廃止されました。

***本稿の制作にあたっては『最新郵便用語事典』(ぎょうせい、1986年)のほか、石田徹氏による「特集:誕生90年を迎える”風景印”の概要とその変遷」(『月刊 郵趣』2021年3月号)を参照しました。

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