記番印と二重丸印の全国配備|明治6-7年

二重丸印の登場とその背景

明治6年3月10日、郵便料金を全国均一にすることと、郵便事業を政府専掌とすることを定めた太政官布告(第九七号)が出され、翌4月1日から実施されました。わが国の郵便史上、もっとも重要な布告の一つです。この均一料金制導入に呼応して、三府五港の郵便役所に新型の日付印が配備されました。内円部に地名を彫り、外円部に年号・月・日・便号の活字を挿入するもので、黄銅製の外輪を着脱して日付の更埴を行う構造になっています。その形状から「二重丸印」と呼ばれ、明治21年まで全国の郵便局で使用されました。

明治7年3月の東京郵便役所における二重丸印の例

記番印と二重丸印の全国配備

「記番印」(日付無しの消印)とは、明治7年12月から全国の郵便局で使われた、抹消専用の消印です。国名を示すカナ記号と郵便局に対応する番号とから構成され、たとえばカナのイは武蔵国で、最終のイアは対馬国となります。2,000ほどの交付局のうち、実際の郵便物から確認された記番号は約1,300局ほどです。

日付印の「二重丸印」は、明治7年から8年にかけて全国の郵便局への配備が完了しました。しかし、郵便物に記番印と二重丸印を押すのは煩雑なので、明治9年頃から二重丸印で抹消と証示をする郵便局が増えていきます。

*管理人註:ここでは二重丸印と記番印の登場の背景についてまとめていただきました。日本郵趣の草創期に優れた研究を果たしたトレーシー・ウッドワード以来、すでにさまざまな過去の研究の蓄積がありますが、記番印の体系的な解説は『記番印の研究―近代郵便の形成過程』(阿部昭夫/著、名著出版、1994年)が詳しく、全国各地の郵便局の使用状況については『新版・明治郵便局名録』(田辺卓躬 ・近辻喜一/編著、鳴美、2015年)を参照ください。

 

記番印による抹消例

文:近辻喜一(ちかつじ・きいち)

近辻喜一さん郵便史研究会会長。『新版・明治郵便局名録』(鳴美、2015年)校訂者として知られ、一般の方にも親しみやすい郵便史の解説で定評がある。多摩地域を中心とする郷土史研究者としての顔も持つ。

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