機械印の変遷とその形状|大正3年~

機械印の始まり

大正3年に押印の機械化がはじまりました。逓信博物館の林理作の発明した「林式郵便葉書自動押印機」が昭和10年頃までに100台以上が全国配備され、もっぱら郵便はがきの押印に使われました。消印能力は1分間に手動式250枚、電動式300枚という。この機械印は、一見すると手押しの櫛型印と同じ印影で区別しにくいのですが、つぎのような特徴があり、ほぼ完全に区別することができます。

1:葉書印面右下に正しく押されている。
2:中央部の二本のバーが縁の円弧に密着している。

東京中央郵便局で使用された林式機械印の例

大正3年から米国ユニバーサル社製の押印機を導入し、印影は抹消部が波線、日付部に唐草模様を配したものでした。消印の形状は大きな変化・小さな変化、さまざまありましたが、この唐草機械印は国内押印機メーカーが変わるなかでも型式を維持し、昭和43年に和欧文機械印が登場するまでは一部の例外を除いて機械印の大半が唐草印でした。

東京中央郵便局で使用されたユニバーサルD型の消印例

標語印

国家の政策、郵便事業について周知するため、郵便印に標語を入れることは、欧米では第一次世界大戦の頃から盛んになってきました。わが国でも大正8年から少しずつ使用されるようになったのですが、初期のものは手押しゴム印であり、その数量は限定的でした。機械印の波線部に標語が入れられるようになったのは大正14年からで、昭和27年までほぼ連続して使用されました。昭和43年、郵便番号制度の実施にあたって新しい型の標語印が登場し、全国各地でさまざまなタイプのものが登場しました。

東京中央郵便局で使用された標語入り機械印の例。

昭和45年6月3日に異なる標語印が使用されていたことがわかる東京中央郵便局の和欧文機械印2通。

戦後の広告印

昭和24年に逓信省が解体され、機構が縮小されて郵政省となったが、その上に独立採算制となったため、収入増加の一方法として広告印が登場しました。既定の料金を支払えば標語印の標語のかわりに広告を入れたものを一定期間使用し、葉書に押された広告が全国に送られるという仕組みでした。使用期間は昭和25~27年、印色はとび色です。

東京中央郵便局で使用された広告印の例。

文:近辻喜一(ちかつじ・きいち)

近辻喜一さん郵便史研究会会長。『新版・明治郵便局名録』(鳴美、2015年)校訂者として知られ、一般の方にも親しみやすい郵便史の解説で定評がある。多摩地域を中心とする郷土史研究者としての顔も持つ。

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