日中戦争・太平洋戦争の軍事郵便|昭和12年

日中戦争・太平洋戦争の軍事郵便の概略

昭和12年、日中戦争がはじまると、陸軍では大本営に野戦高等郵便部を設置し、野戦郵便の統括部署となりました。戦地の軍司令部には野戦郵便部を置き、前線部隊などに実際に軍事郵便を取り扱う野戦郵便局や野戦郵便所を配置しました。これら組織に属する職員はすべて軍属として逓信省から派遣されています。海軍では海軍省軍務局が軍事郵便を統括することになり、基地司令部に海軍軍用郵便所監督官を置き、主要海軍基地には海軍軍用郵便所を設置しました。陸軍と同様に、海軍の軍用郵便所の所長と所員も逓信省から軍属として派遣されました。

兵士らが戦地から差し出すことができる郵便物は、第一種書状、第二種はがき、公用小包の三種類。料金は無料でした。

太平洋戦争時の軍事郵便は、日清戦争・日露戦争の軍事郵便と比較すると、その地理的展開範囲の広さ、展開期間の長さ、そして郵便物の量はいずれも数十倍から数百倍にもなりました。陸軍が進攻した地域には野戦郵便局と野戦郵便所が、海軍には軍用郵便所が設けられます。これら軍事郵便の核となる施設が、北のキスカ島からはじまり、天津、上海、香港、ハノイ、マニラ、マンダレー、シンガポール、スラバヤ、南半球のラバウルまで、およそ300ヵ所にありました。

サイパンの夕日

文:近辻喜一(ちかつじ・きいち)

近辻喜一さん郵便史研究会会長。『新版・明治郵便局名録』(鳴美、2015年)校訂者として知られ、一般の方にも親しみやすい郵便史の解説で定評がある。多摩地域を中心とする郷土史研究者としての顔も持つ。

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