日立と日本電気が担った戦後の郵便機械化
昭和41年8月、埼玉県の大宮郵便局に本省直轄の機械化実験室が設置されました。大宮局では、郵便物を定形と定形外により分ける自動選別機、定形郵便物の切手の位置を自動的に検知して取り揃え消印する自動取揃押印機などの試作機が持ち込まれ、テストと改良が続けられました。試作機は日本電気製と日立製作所製でした。
発光切手から色検知方式へ
切手を検知するために、燐光インキを切手に加刷しました(いわゆる発光切手)。発光切手を貼った手紙に紫外線を照射すると、その発光反応で切手の位置がわかるという仕組みです。昭和41年7月、大宮地区の郵便局などで7円金魚と15円菊の発光切手と夢殿7円発光はがきが実験的に売り出されました。しかし、燐光インキの加刷は切手の製造コストが1割ほど高くなるため、切手の色を検知する方式に変更されました。そこで切手の図案に少し工夫をすることになります。普通切手の寸法は18.5×22.5ミリ。その四周に幅0.5ミリの太さの枠を入れ、そのなかに図案を描いたものに変わりました。この仕組みを開発したのが東芝でした。
実郵便による実験
大宮郵便局での実験はポストから集めてきた実際の郵便物を使ったことに意味があります。自動選別機と自動取揃押印機は実用段階に達し、前者は一時間3万通、後者は2万7千通を処理できるまでになりました。
文:近辻喜一(ちかつじ・きいち)
郵便史研究会会長。『新版・明治郵便局名録』(鳴美、2015年)校訂者として知られ、一般の方にも親しみやすい郵便史の解説で定評がある。多摩地域を中心とする郷土史研究者としての顔も持つ。