新式郵便が長崎まで達したのはいつ?|明治4年

長崎まで郵便開通

明治4年12月5日(西暦1872年1月14日)、大阪以西長崎までの郵便線路が開通しました。この時、長崎と神戸に郵便役所が新設され、大阪から長崎に至る街道沿いや枝道に郵便取扱所が増設されました。これで東京-長崎間の郵便がつながったことになります。

すでに、同年8月には官営郵便が南海道と山陽道への郵便物の逓送・配達を大阪の相場飛脚問屋に委託し、東京から大阪以西は下関、以南は四国宇和島、紀州田辺まで書状が届くようになっていました。長崎延伸が急がれたのは、6月に上海から、8月にウラジオストックからの海底ケーブルが長崎に陸揚げされたためでした。

郵便料金の改定

長崎までの郵便線路が開通した日、最初の「郵便規則」が制定され施行されました。郵便料金が距離別に改められ、重さ四匁までの書状基本料金は、二十五里以内銭百文、五十里以内銭二百文、百里以内銭三百文、二百里以内銭四百文、二百里以上銭五百文となります。例えば、東京-大阪間は一貫五百文から四百文に引き下げられました。

その他の郵便線路

同年12月中に、畿内の大和-河内-和泉-紀伊に郵便線路が開通し、横浜-横須賀間に郵便船を就航させ、横須賀-浦賀-三崎への郵便線路も開通しています。さらに福井県から「越前国より加賀、越中、越後の諸国と、近江国を経て京都、大阪の二府に達する信書逓送を郵便施行までの間、仮規則をもって行いたい」という申請があり、許可されています。郵便創業の明治四年末までに開設された郵便取扱所は、東京以西に180ヵ所になりました。郵便引受数は57万通にのぼり、前島の見積もった予測を大きく超える実績を上げることができました。

文:近辻喜一(ちかつじ・きいち)

近辻喜一さん郵便史研究会会長。『新版・明治郵便局名録』(鳴美、2015年)校訂者として知られ、一般の方にも親しみやすい郵便史の解説で定評がある。多摩地域を中心とする郷土史研究者としての顔も持つ。

 

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