昭和切手の登場と楠公はがき|昭和12年

昭和切手の登場

大正の初めから長らく使われてきた田沢切手が図案的な魅力にとぼしいことから、新しいデザインへの全面的な切りかえを望む声が昭和の初め頃からしきりでありました。逓信省は、このような要望にこたえ、<躍進日本>を象徴する絵画的な図案に全面的に改正する方針で、「改正郵便切手図案審査委員会」を組織して切手図案の選定と審査にあたらせます。その結果、人物・風景・産業・神社・仏閣・美術などに題材をとった19種の切手の発行をきめました。これらの切手を「第1次昭和切手」(昭和12-15年)と呼んでいます。

逓信省では、昭和16年12月、国民の戦意高揚に役立つような切手図案を一般から公募し、いわゆる時局図案の入選作を選びました。また、3度にわたる料金改正により、昭和20年までに発行された切手を「第2次昭和切手」と呼びます。昭和20年4月に印刷局滝野川工場が空襲により消失し、切手の印刷は多くの民間工場へ委託されて、昭和20年から21年にかけて、震災切手と同じように無目打・無糊の平版切手が発行されました。これが「第3次昭和切手」です。

昭和切手の例。戦時中の普通切手のため、さまざまなバラエティが存在する。

楠公(なんこう)はがきは昭和5年から

昭和5年8月、印面に楠木正成の銅像を描いた、新しいはがきが発行されました。この「楠公はがき」は、1銭5厘、2銭、3銭、5銭と料額を上げて、昭和20年まで発行されます。ここでは昭和切手と同時代の郵便はがきは「楠公はがき」ということだけ抑えていただきたいと思います。

昭和8年2月から使用開始された「濁点楠公」(はがきの「が」と濁点が入るタイプ)の例。

文:近辻喜一(ちかつじ・きいち)

近辻喜一さん郵便史研究会会長。『新版・明治郵便局名録』(鳴美、2015年)校訂者として知られ、一般の方にも親しみやすい郵便史の解説で定評がある。多摩地域を中心とする郷土史研究者としての顔も持つ。

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