郵便の政府専掌が決まったのはいつ?|明治6年

均一料金制度と政府専掌

明治6年3月10日、郵便料金を全国均一にすることと、郵便事業を政府専掌とすることを定めた太政官布告(第九七号)が出され、翌4月1日から実施されました。わが国の郵便史上、もっとも重要な布告の1つです。

布告前段には、「郵便賃銭ノ稱呼ヲ廃シ郵税ヲ興シ量目等一ノ信書ハ里数ノ遠近ヲ問ハス国内相通シ等一ノ郵便税ヲ収メ候」と謳われている。 郵便料金の呼称を「郵便賃銭」から「郵便税」に改め、料金を全国均一制にすることを宣言しています。具体的には、距離の遠近にかかわらず国内一律、書状一通二匁までごとに二銭としました。ただし、市内宛は一銭割り引いて一銭に、不便地宛は一銭割り増して三銭とする、割引・割増料金の特例が設けられていたので、完全な全国均一料金制度とはならなかったのです。

布告後段には、「信書ノ逓送ハ駅逓頭ノ特任ニ帰セシメ何人ヲ問ハス一切信書ノ逓送ヲ禁止ス若其禁ヲ犯シ候者ハ郵便犯罪罰則ニ照シ令處分候条此旨可相心得事」と郵便の国家独占を宣言しています。すなわち、郵便国の独占事業とし、何人も信書逓送を禁じる。それを犯した者は罰則に照らして処分する、という意味です。この郵便犯罪罰則は、「明治6年 改訂 郵便規則」の巻末にあります。郵便の均一料金制度と政府専掌には、表裏一体であり密接不可分の関係がありました。

岐阜検査済明治6年

明治6年10月の2銭料金の書状(岐阜・検査済)

陸運元会社の誕生

収益源であった信書業務を一方的に国有化された定飛脚側は、前島の指導に応えて、「陸運元会社」設立の願書ならびに諸規則類を駅逓寮に提出しました。駅逓寮は6月、省議および太政官正院への手続きを経て陸運元会社設立を許可したのです。

明治6年4月、駅逓寮は陸運元会社に現金輸送の委託を開始しました。内容は、金子入書状の逓送と配達をはじめ、駅逓寮から各郵便取扱所へ交付する郵便脚夫の賃銭と取扱所の御手当金、それに郵便切手の輸送、また、各取扱所から郵便切手の売却代金の駅逓寮への輸送などでした。

民間が金子を輸送するために使用した封筒(明治初期)

文:近辻喜一(ちかつじ・きいち)

近辻喜一さん郵便史研究会会長。『新版・明治郵便局名録』(鳴美、2015年)校訂者として知られ、一般の方にも親しみやすい郵便史の解説で定評がある。多摩地域を中心とする郷土史研究者としての顔も持つ。

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