定形内・定形外郵便の区別ができたのはいつ?|昭和41年

郵便物の規格化

大宮郵便局に先立つ京都中央郵便局の実証実験などでみえてきたことは、機械化には郵便物の規格統一が絶対的な条件になる、ということでした。そこで郵政省は郵便物のサイズによって定形郵便物と定形外郵便物にわけて、定形外料金を定形料金よりも高く設定し、郵便物を定形に誘導することに決めました。定形のサイズは最大23.5×12センチ、最小14×9センチとしました。昭和41年7月1日のことです。

昭和36年頃の京都中央郵便局に設置された日立製の大型区分機。実際にはあまりうまく機能しなかったが、郵便物の規格化が必要という実証された。

郵便体系の変更

昭和41年7月1日の料金改定では、第五種郵便物を第一種郵便物に統合し、定形は25グラムまで15円、定形外は50グラムまで25円とする料金改定を行いました。その結果、第一種信書の料金は10円から15円に50%の値上げ、第五種印刷物(定形外)は10円から25円に150%の大幅値上げとなりました。しかし、定形封筒に印刷物などを封入して差し出せば、15円で済む。この改定で、大きかったダイレクトメールの形状が次第に定形内郵便となっていきました。

日本電気が用意した模擬郵便物

文:近辻喜一(ちかつじ・きいち)

近辻喜一さん郵便史研究会会長。『新版・明治郵便局名録』(鳴美、2015年)校訂者として知られ、一般の方にも親しみやすい郵便史の解説で定評がある。多摩地域を中心とする郷土史研究者としての顔も持つ。

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