郵便の全国展開
明治5年1月の駅逓寮の会議では、東京以西南の郵便線路があらかた整ったのを受けて、残る東京以東北の地方においても速やかに郵便線路を延伸させることとし、同地方に駅逓寮から官員を巡回させることを決定しました。明治4年8月、駅逓頭に就任した前島は、欧米で習得した新しい知識に基づいて、郵便全国実施と信書逓送の政府専掌について、太政官に建議したのです。翌5年6月、前島の建議は太政官で裁可され、次のように布告されました。
「本年七月以降、北海道後志胆振両国以北を除く外、全国の官道支道を論ぜず、凡そ県庁を設置する地方及び港津市駅、公私の事務頻繁の地は、其景況に応じ、毎日或は隔日或は一月、二、五、六次を期して郵便線路を開設し、沿道傍近の市村にいたるまで往復交通せしむ、因て、郵便規則*に準依し、信書等は各地郵便役所及び郵便取扱所に発付すべし」
*明治5年3月制定「郵便規則」(改正増補)
明治5年7月1日、郵便が全国に展開されることになり、この時点での郵便取扱所の開設数は772を数えました。郵便試行からわずか1年半足らずの短期間で、郵便の全国ネットワークが曲がりなりにも整えられました。明治5年中に全国で引き受けられた郵便物は、前年比4倍強の251万通まで増加した。同年末の郵便取扱所の数は1160ヵ所になりました。
郵便取扱人(郵便局長)の専任
前島は、このときの郵便取扱人の選任につき、次のように話しています。少し長い引用ですが、当人による重要な証言ですので、紹介したいと思います。
「初め取締役と称えた地方の局長は、相当の資産のある紳士でなければならん。其選任に就て大なる便宜を得たのは、当時では役人になるといふ事を名誉にしたので、殊に自分の家に居て幾らかの官給を貰って役人の列に居るといふのは、最も喜ぶ所であつたからです。それ故私は此局長を準官吏として、其上給は判任官の中位に列し、口米を給与することを稟請して、その通りにしたのです。」
桜切手の登場
全国郵便の実施にあわせて、新しい切手が用意されました。欧米で一般的な長方形とし、大量生産に対応した一色刷で、四隅に桜花をおき、額面は「1SEN」などと欧字併記しています。明治7年に和紙から洋紙にかわり、8年に改色されるなどの変化がありますが、このエッチング凹版で印刷された普通切手シリーズを総称して「桜切手」と呼んでいます。
文:近辻喜一(ちかつじ・きいち)
郵便史研究会会長。『新版・明治郵便局名録』(鳴美、2015年)校訂者として知られ、一般の方にも親しみやすい郵便史の解説で定評がある。多摩地域を中心とする郷土史研究者としての顔も持つ。