日本における外国郵便はいつから?|明治8年

日米郵便交換条約の締結

明治6年2月、駅逓寮は、外国郵便業務に精通したアメリカ人のサミュエル・M・ブライアンをお雇い外国人として招聘しました。ブライアンは対米交渉を担当し、同年8月に日米郵便交換条約に調印、翌年4月にワシントンで批准書交換、6月に条約が公布されました。

明治8年1月5日、横浜郵便局とサンフランシスコ郵便局を郵便物の交換本局に指定し、わが国は正式に外国郵便の業務をスタートさせました。15グラムまでの書状料金が日本から15銭、アメリカから15セントなどと定められ、わが国は「鳥」を描いた外国郵便用の3種類の切手(鳥切手)を発行しています。

夕日の沈むサンフランシスコ

日本切手で海外への配達が可能に

これにより日本切手が貼られた手紙が外国で、外国切手が貼られた手紙が日本で配達されるようになりました。明治8年の外国郵便の実績は、差出16万通・到着14万通でした。日米の二国間条約であるものの、アメリカが他の国とも郵便交換条約を締結していたため、同国を経由して、日本からアメリカ以外の外国にも手紙を差し出すことができました。また、条約締結によりアメリカは在日アメリカ郵便局を廃止しました。なお、外国郵便開始に合わせて、郵便役所・郵便取扱所の呼称を「郵便局」に改称しています。

外国郵便創業局の横浜港郵便局の記念ポスト

文:近辻喜一(ちかつじ・きいち)

近辻喜一さん郵便史研究会会長。『新版・明治郵便局名録』(鳴美、2015年)校訂者として知られ、一般の方にも親しみやすい郵便史の解説で定評がある。多摩地域を中心とする郷土史研究者としての顔も持つ。

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