富山・福野の山田家住宅洋館(南砺市)|吉田鉄郎の建築

吉田鉄郎は逓信建築、そして日本のモダニズム建築を牽引した建築家として、公共建築のみならず住宅設計においても顕著な功績を残しました。彼の建築キャリアを象徴する作品の1つが、南砺市福野に位置する山田家住宅洋館です。この建物は、昭和4年(1929年)に建築され、昭和13年(1938年)から翌年にかけて改修が施された、和洋折衷のスタイルを採用した貴重な住宅です。吉田鉄郎の手がけた建築の多くは現存しませんが、建築時点からの変更が少なく、保存状態もよいことや、吉田鉄郎が郷土に残した建築であることなどから非常に重要です。

山田家住宅洋館 中庭から

山田家住宅洋館 中庭から。冬の富山は曇りがちだが、気持ちよく晴れた。2024年2月18日撮影

吉田鉄郎の建築キャリア

吉田鉄郎は1894年、富山県の福野町(現在の南砺市)で五島家の三男として生まれました。東京帝国大学建築学科を卒業後、婿養子となったたため、五島鉄郎から吉田鉄郎と改名し、逓信省に勤務しました。

逓信省での勤務中、彼は東京中央郵便局や大阪中央郵便局といった多くの逓信建築を設計し、モダニズム建築の導入に貢献しました。その後も、公共建築だけでなく住宅設計においてもその才能を発揮し、日本の近代建築史における重要な役割を果たしました。

山田家住宅洋館 階段1

山田家住宅洋館 階段の2階部分。左手奥に南面した八角窓がある。右手に画質と和室がある。

山田家住宅洋館 階段2

山田家住宅洋館 階段の踊り場から1階を見下ろしたところ。当時としては傾斜が緩やかにつくられていて、バリアフリーの考え方がみられる。

山田家住宅洋館の設計

山田家住宅洋館の設計において、吉田鉄郎は逓信建築・郵政建築に見られる特徴的なデザイン—真壁、連窓、庇など—を取り入れました。これらの要素は、洋館の外観だけでなく、内部空間においても巧みに盛り込まれています。

山田家住宅洋館 和室

贅を尽くした和室。真壁がみられる。

特に注目すべきは、洋館の3カ所に設けられた八角窓です。これらの窓は施主の依頼によって採り入れた風水を考慮した意匠であり、建物にとって好ましいエネルギーをもたらすと考えられています。また、吉田鉄郎がほぼ同時期に手がけた東京中央郵便局における八角柱とも関係しているのではないでしょうか。

山田家住宅洋館

施主から依頼されて設けた八角窓。黒い壁は越中の伝統的な様式を踏まえたもの。

五島家と山田家は遠縁の親戚であり、吉田鉄郎と山田家との間には親密な関係がありました。この親密な関係は、山田家住宅洋館の設計依頼にも反映されていますし、また吉田鉄郎が東京都新宿区にある旧馬場家牛込邸(重要文化財)を手がけることになったのも山田家の引き合わせによるものです。

安川慶一による改修

山田家住宅洋館は、昭和13年(1938年)から翌年にかけて、富山県の民藝運動を主導した安川慶一によって改修されました。安川は中新川郡立山町出身の民藝家・建築家であり、日常の生活道具を「民藝」とみなし、西洋の美とは異なる「美」を追求しました。

国の登録有形文化財に

山田家住宅洋館は、その建築的及び文化的価値を認められ、国の登録有形文化財になりました。この登録は、令和5年(2023年)8月7日に行われました。山田家住宅洋館が、吉田鉄郎のキャリアにおける住宅設計における意義を再認識させ、富山の気候も踏まえたものであること、吉田鉄郎と山田家、さらには五島家との関係性を含めた、この建物の歴史的背景に光を当てるものになるのではないでしょうか。

山田家住宅洋館 八角窓

山田家住宅洋館の図面

山田家住宅洋館の図面・外観

山田家住宅洋館の図面・外観

山田家住宅洋館の図面・階段部分

山田家住宅洋館の図面・階段部分

なお、福野の名家である山田家の歴史については、『越中福野の詩百篇-発酵と歩んだ山田三代』(山田正彦/著)に詳しく、吉田鉄郎との関係にも言及があります。また、このたびは山田家当主の山田正彦氏のご厚意により、見学・撮影の機会をいただきました。ウェブ上で改めて御礼申し上げます。
*『越中福野の詩百篇-発酵と歩んだ山田三代』(山田正彦/著)の入手については、TEL:090-3133-6964(山田様)までご照会ください。商品先渡し (代金2,000円+送料200円)です。

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