旧静川郵便局の概要
会津の地に郵便がもたらされたのは、郵便創業から1年後のことでした。当時、中央にあった大蔵省駅逓寮は全国各地に巡廻掛を派遣し、各府県の郵便掛と協議しながら、郵便取扱所の設置や取扱人の選定などを行っていたのですが、若松県に巡廻掛が派遣されたのは明治5年3月でした。初代局長にあたる細井和吉郎が明治5年5月頃に、若松県へ派遣された巡廻掛に郵便取扱所開設の文書を提出し、同年9月に黒沢郵便取扱所(現在の静川郵便局)を設置しました。
旧静川郵便局の詳細情報
登録有形文化財となっている旧郵便局舎「細井家住宅郵便局舎」は昭和9年には自宅の土蔵を郵便局舎に改造したものです。ここで昭和40年まで営業していました。かつては細井家資料館の一部をなし、郵便史料などが展示されていましたが、2011年に後述する奥会津博物館へ寄贈されました。
旧静川郵便局のアクセス
所在地
〒967-0025
福島県南会津郡南会津町静川字風下甲175
アクセス
会津田島駅より会津バスで約15分、静川下車徒歩1分
細井家の郵便史料
郵便局長を務めた細井家は、江戸後期から名主を務めた家で、酒造業・漆器業・金融業などを営んでいました。同家に伝わる200点を超える郵便資料は昭和58年に南会津町の重要有形民俗文化財の指定を受けました。これらの資料は細井家資料館(南会津町大字静川・2011年頃に閉館)で公開されていたのですが、現在は町立奥会津博物館(南会津町糸沢字西沢山)に移管され、その一部が細井家コーナーに常設展示されています。スキー板やかんじきなど、雪深い郵便逓送の苦労をしのばせる資料がありますが、特に印象的なのは郵便取締役(局長)の細井善四郎が郵便保護銃の使用を申請した明治16年2月の文書(『静川局郵便関係文書』の一部)です。「5月下旬に至らなければ消雪ない」ほどの困難な道であり、静川から隣の局までの4里以上の行程は「猛獣の被害を受ける者も古来その例少なくない」といった表現がみられ、山深い地域の暮らしの厳しさを今に伝えているように思えました。
細井善四郎宛て郵便物
細井家の郵便物は郵趣界に還流しています。手彫切手の時代までさかのぼることができるので、若松県(*)・福島県時代の郵趣マテリアルの売り立てがあると、時おり細井家ゆかりの郵便物をみつけることがあります。こちらは若松郵便局から静川郵便局に宛てた明治10年頃の郵便物で、名宛人は2代目局長の細井善四郎です。
(*)若松県という県をご存じでしょうか。戊辰戦争で会津藩の領地が明治政府の直轄地になると、同地に若松民政局など複数の民政局が置かれますが、その半年後の明治2年5月4日には各地の民政局が廃止され、若松県が発足しました。若松県は会津藩領を継承したこともあり、現在の新潟県東蒲原郡も含んでいました。明治4年に成立した三府七十二県ですが、明治9年にはいって府県が全国的に統廃合され、三府三十五県まで減らされます。若松県も同年8月21日に福島県(旧)、磐前県(いわさきけん)と合併し、さらに福島県東蒲原郡は明治19年8月27日に新潟県へ移管され、ほぼ現在の福島県のかたちができました。
静川郵便局の基本情報
所在地
〒967-0025
福島県南会津郡南会津町静川豆渡214-1
静川郵便局の沿革
明治05.09.- 設置 郵便取扱所 設置名称「黒沢」
明治08.01.01 五等郵便局に改定
明治09.-.- 現名称に改称
明治19.04.26 三等郵便局に改定
昭和16.02.01 特定郵便局に改定
昭和61.10.20 集配廃止 引継:田島
書留引受局記号:8761
為替番号:82132
*沿革は『日本郵便局名鑑 』森 寿博 編著/武田 聡 追補/鳴美、2021年より。