郵便創業の第一便は何通くらいだったか|明治4年

郵便創業時のトップは杉浦 譲

駅逓権正の杉浦譲(1835~1877)の指揮のもと、駅逓司の職員30余名が郵便開業の準備を全力で推し進めました。明治4年正月には「先試ノ為メ来ル三月朔日ヨリ西京迄三十六時大坂迄三十九時限ノ飛脚毎日御差立両地ハ勿論東海道筋駅々四五里四方ノ村々幷勢州美濃路等モ右幸便ヲ以テ相達候様ノ御仕法相成」との太政官布告が発せられます。

同日、各地時間賃銭表と「書状を出す人の心得」も駅逓司から公布されました。時間賃銭表には、東京・西京・大坂から各継場までの時間と賃銭、入路地への賃銭が示されています。たとえば、東京から西京までの飛脚便は3日限の仕立便で21両2分(いまの値段で21万5千円くらい)かかっていましたが、差込便なみの一貫400文(1400円くらい)で毎日届けるとありました。

富士山と青空

東海道を約78時間で

明治4年3月1日(1871年4月20日)、三都に郵便役所が置かれ、東海道と佐屋路四駅の伝馬所内に郵便取扱所が設けられ、新式郵便がスタートします。郵便取扱所の責任者は、伝馬所を管轄する府藩県からの出張官員で、宿駅の元締役、年寄役、人足方が実務者として郵便事務を取り扱いました。三府の郵便役所前と市内要所に書状集箱(郵便ポスト)が設置され、東海道駅々にもポストが置かれます。

開業初日の郵便取扱数

開業3日間の大阪から東京までの郵便の送達時間は、75時間余、76時間余、79時間と、いずれも計画した78時間に近いものでした。また、開業初日の郵便取扱数は、東京から上り134通差出し、東京への下り到着分が京都から21通、大阪から19通、下り途中から134通*で計308通でした(下り途中宛と上り途中発の郵便物を含まずに)。1日300通を見込んでいたのですから、まずまずの成績だったといえます。同年3月10日、杉浦は駅逓正に昇任しています。

*明治4年3月1日の郵便物は見つかっていませんが、水口発大津あて龍百文1枚貼りの明治4年3月3日のカバーが現存しています。東京発大坂行き明治4年3月1 日の創業第1号便が、3月3日に水口に着き、石部・草津を経て、大津に運ばれた日本最古の郵便物であることがわかっています。画像は次の記事を参照ください。

東海道関宿

東海道関宿の街道筋

文:近辻喜一(ちかつじ・きいち)

近辻喜一さん郵便史研究会会長。『新版・明治郵便局名録』(鳴美、2015年)校訂者として知られ、一般の方にも親しみやすい郵便史の解説で定評がある。多摩地域を中心とする郷土史研究者としての顔も持つ。

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