日本切手に裏糊が引かれた最初とは|明治5年 2022.04.22 新貨条例と竜銭切手「新貨条例」が、明治4年6月に太政官より布告されました。同年12月より、旧貨幣と新銭貨との交換が開始されたことを受けて、明治5年1月に郵便料金が文単位から銭単位に改定されました(銭百文=一銭)。翌2月(1872年4月)、半銭、一銭、二銭、五銭の新しい額面の切手が発行されています
新式郵便が長崎まで達したのはいつ?|明治4年 2022.04.20 長崎まで郵便開通明治4年12月5日(西暦1872年1月14日)、大阪以西長崎までの郵便線路が開通しました。この時、長崎と神戸に郵便役所が新設され、大阪から長崎に至る街道沿いや枝道に郵便取扱所が増設されました。これで東京-長崎間の郵便がつながったことになります。すでに、同年8月には官営郵便
前島密が駅逓頭に再任された経緯は?|明治4年 2022.04.15 前島密の帰国前島 密は明治4年8月11日(西暦1871年9月25日)に米国経由で帰国しました。その前日、駅逓司が三等寮に昇格し大蔵省駅逓寮になり、杉浦 譲*の後任の浜口成則が駅逓頭に就いています。さっそく前島は浜口に面会したのですが、浜口は「通信の事は已に飛脚屋あり。官営は予の可とする所に非ず」
日本最初の切手が誕生する舞台裏について|明治4年 2022.04.08 日本最初の郵便切手―竜文切手4種明治4年3月1日(1871年4月20日)、銭四十八文、銭百文、銭二百文、銭五百文の郵便切手が発行されました。時間賃銭表は、目方五匁までの書状一通分の賃銭で、五匁以上十匁までは一通半、十匁以上十五匁までは2通分の賃銭が必要になります。新たに追加された四十八文切手は、
郵便創業の第一便は何通くらいだったか|明治4年 2022.04.01 郵便創業時のトップは杉浦 譲駅逓権正の杉浦譲(1835~1877)の指揮のもと、駅逓司の職員30余名が郵便開業の準備を全力で推し進めました。明治4年正月には「先試ノ為メ来ル三月朔日ヨリ西京迄三十六時大坂迄三十九時限ノ飛脚毎日御差立両地ハ勿論東海道筋駅々四五里四方ノ村々幷勢州美濃路等モ右幸便ヲ以テ
郵便創業前夜と前島 密|明治2-4年 2022.03.25 幕臣時代の前島 密前島密(1835~1919)は天保6年、越後国頚城郡下池部村の旧家に生まれました。医師を志し12歳で江戸に出たのですが、嘉永6年に黒船来航を目のあたりにして、砲台や港湾を見分する全国の海岸線を辿る旅に出ました。兵法・砲術・機関学などを学んだあと、函館の武田斐三郎に入塾、箱館丸で
飛脚はどれくらいの費用だったか 2022.03.02 飛脚問屋の賃料巻島隆『江戸の飛脚』によると、慶応三年(1867)、大坂から江戸まで書状一通を運ぶ飛脚賃は、並便(15日ほど)で銀一匁、六日限の早便が銀三匁五分、三日半限の仕立便は金十一両でした。金1両=銀60匁=1万円で換算すると、並便150円、早便600円、仕立便11万円くらいに相当します。仕
集配局と無集配局 2022.01.15 集配局と無集配局の定義本サイトが扱うレトロ郵便局の時代の定義ではありますが、郵便局は大きく鉄道郵便局と通常郵便局に分かれます。鉄道郵便局は例外なく普通郵便局でしたが、通常郵便局には普通郵便局と特定郵便局があります。通常郵便局は、大きく集配局と無集配局に大別されます。都市部においてはほとんどの場合
郵便と電信を担った「郵便電信局」 2022.01.11 現業部門における郵便と電信の統合≒郵便電信局の置局郵便電信局は日本切手の専門家にとってはなじみ深いものですが、一般にはあまり知られていない名称ではないでしょう。中央省庁の逓信省が明治18(1885)年12月22日に発足して、郵便と電信は逓信省が担うことになりました。これを受けて、農商務省
「郵便局」は明治8年から 2022.01.07 創業時点は郵便役所・郵便取扱所日本に「郵便局」ができたのはいつからかご存じでしょうか。日本の郵便が明治4年3月1日(1871年4月20日)に東京大阪間で始まったのは有名ですが、創業時点で設置されたのは3つの郵便役所と62の郵便取扱所で、当初は「郵便局」ではありませんでした。全国各地にあった郵便取