「日本文明の一大恩人」前島密の思想的背景と文明開化(後) 2024.02.13 「日本文明の一大恩人」前島密の思想的背景と文明開化(後)井上卓朗郵政博物館 研究紀要 第11号(2020年3月)この記事は次の記事をお読みになると、より楽しめる内容となっています。「日本文明の一大恩人」前島密の思想的背景と文明開化(前)【4】前島密の思想(1) 自由な思考から
「日本文明の一大恩人」前島密の思想的背景と文明開化(前) 2024.01.21 「日本文明の一大恩人」前島密の思想的背景と文明開化(前)井上卓朗郵政博物館 研究紀要 第11号(2020年3月)【1】はじめに「日本文明の一大恩人」前島密(1835~1919)は1円切手印面の肖像として親しまれ、日本の郵便の父として広く一般に知られている。しかし、大正11(192
木村勝の原画資料「新動植物国宝 40円陽明門」 2023.12.31 木村勝の原画資料昭和の日本切手を熱心に集めている方であれば、昭和切手をはじめ、戦前から戦後にかけて数多くの切手原画を手がけた木村勝の名をご存じかもしれません。画家木村勝(きむら・まさる)氏は、明治34年(1901)6月15日、福島県中村町 (現在の相馬市)にて出生し、画家として活動していました。
音声を郵便で送る「声の郵便」 2023.04.27 音声を郵便で送る「声の郵便」井上卓朗 「郵政博物館資料紹介 (21) 音声を郵便で送る「声の郵便」」郵便史研究会第41号(2016年3月)*井上卓朗氏が過去に発表した論文を原著者のご厚意、千葉県市川市の郵政博物館資料センター(令和5年度承認番号第10号)、株式会社通信文化新報ならびに『写真集
日本最古の郵趣家団体「郵楽会」と記念絵はがきの制作 2022.12.25 日本最古の郵趣家団体「郵楽会」郵楽会は日本最古の郵趣団体とされます。この団体は明治45年7月に、東京・神田の和田商店に通う顧客だった河西瑛が店主和田鋳三郎に同好者の集まりをつくることを相談したのがきっかけとなって成立しました。相談を持ち掛けられた和田は、自店の熱心な顧客、木村梅次郎、柴田常吉、宇
戦前記念・特殊切手発行を記念した私製はがき 2022.12.23 戦前記念切手とマキシマムカード関連の高い私製絵はがきを選んで、記念・特殊切手の切手発行日などに記念押印したものを集めてみました。一般的には郵趣家が記念押印したものであることから敬遠する向きもありますが、欧米では、あるいは国や年代によっては「マキシマムカード」として重要視される場合もあります。ここ
郵便・郵貯・簡保の民営化|平成19年 2022.12.02 郵政三事業の民営化平成19年10月1日、郵便・郵便貯金・簡易生命保険の郵政三事業が民営化され、日本郵政グループが誕生しました。現在、日本郵便は2万の直営郵便局と4千の簡易郵便局で構成する全国ネットワークを維持し、うち過疎地には7千7百局が設置されています。郵便ポストは全国に18万本。このほか切手
局内作業の省力化とかかわる7桁郵便番号|平成10年 2022.11.25 郵便物が自動で配達順に積まれた状態に平成10年2月2日、郵便番号が7桁になりました。これのおかげで、配達区分まで可能となりました。郵便番号7桁の次に住居表示の番号をつなげると、宛先をすべて数字で表すことができます。漢字の数字も認識できる読取区分機に郵便物を通せば、一瞬に数列に直し
5桁の郵便番号は何を表しているの?|昭和43年 2022.11.11 郵便番号制度の開始昭和43年7月1日から郵便番号制度がはじまりました。3桁か5桁で構成されたもので、最初の2桁は都道府県市区などの行政区画、3桁目は地区の郵便局を表しています。そして必要に応じて4桁目と5桁目には、末端の郵便局や私書箱を表す番号が追加されました。仕組みは一定の位置に五つの赤い枠を
定形内・定形外郵便の区別ができたのはいつ?|昭和41年 2022.11.04 郵便物の規格化大宮郵便局に先立つ京都中央郵便局の実証実験などでみえてきたことは、機械化には郵便物の規格統一が絶対的な条件になる、ということでした。そこで郵政省は郵便物のサイズによって定形郵便物と定形外郵便物にわけて、定形外料金を定形料金よりも高く設定し、郵便物を定形に誘導することに決めました。定
集合郵便受箱と住居表示の整備|昭和30年代 2022.10.21 集合郵便受箱の設置昭和30年代半ばになると、日本の人口は大都市圏とその周辺に集中します。それに伴って建物の高層化集合化が進み階段を上り下りして郵便を配達することが多くなりました。そこで昭和36年にエレベーターのない三階建て以上の建物については、建物の出入口やその周辺に集合郵便受箱を設置することを
高度経済成長期と郵便|昭和30年代 2022.10.14 経済成長期の郵便事業昭和30年代、40年代に入ると、岩戸景気など長期の大型景気に支えられ、日本経済は高度成長を続けました。貿易と外国為替が自由化され、わが国は国際経済の檜舞台で先進各国と肩を並べるまでになっていきます。産業界では業務の情報化やコンピュータ化がはじまります。このような経済発展を受け