局内作業の省力化とかかわる7桁郵便番号|平成10年 2022.11.25 郵便物が自動で配達順に積まれた状態に平成10年2月2日、郵便番号が7桁になりました。これのおかげで、配達区分まで可能となりました。郵便番号7桁の次に住居表示の番号をつなげると、宛先をすべて数字で表すことができます。漢字の数字も認識できる読取区分機に郵便物を通せば、一瞬に数列に直し
5桁の郵便番号は何を表しているの?|昭和43年 2022.11.11 郵便番号制度の開始昭和43年7月1日から郵便番号制度がはじまりました。3桁か5桁で構成されたもので、最初の2桁は都道府県市区などの行政区画、3桁目は地区の郵便局を表しています。そして必要に応じて4桁目と5桁目には、末端の郵便局や私書箱を表す番号が追加されました。仕組みは一定の位置に五つの赤い枠を
定形内・定形外郵便の区別ができたのはいつ?|昭和41年 2022.11.04 郵便物の規格化大宮郵便局に先立つ京都中央郵便局の実証実験などでみえてきたことは、機械化には郵便物の規格統一が絶対的な条件になる、ということでした。そこで郵政省は郵便物のサイズによって定形郵便物と定形外郵便物にわけて、定形外料金を定形料金よりも高く設定し、郵便物を定形に誘導することに決めました。定
郵便機械化の実験はどこで行われたの?|昭和41年 2022.10.28 日立と日本電気が担った戦後の郵便機械化昭和41年8月、埼玉県の大宮郵便局に本省直轄の機械化実験室が設置されました。大宮局では、郵便物を定形と定形外により分ける自動選別機、定形郵便物の切手の位置を自動的に検知して取り揃え消印する自動取揃押印機などの試作機が持ち込まれ、テストと改良が続けられました。
集合郵便受箱と住居表示の整備|昭和30年代 2022.10.21 集合郵便受箱の設置昭和30年代半ばになると、日本の人口は大都市圏とその周辺に集中します。それに伴って建物の高層化集合化が進み階段を上り下りして郵便を配達することが多くなりました。そこで昭和36年にエレベーターのない三階建て以上の建物については、建物の出入口やその周辺に集合郵便受箱を設置することを
高度経済成長期と郵便|昭和30年代 2022.10.14 経済成長期の郵便事業昭和30年代、40年代に入ると、岩戸景気など長期の大型景気に支えられ、日本経済は高度成長を続けました。貿易と外国為替が自由化され、わが国は国際経済の檜舞台で先進各国と肩を並べるまでになっていきます。産業界では業務の情報化やコンピュータ化がはじまります。このような経済発展を受け
逓信省から郵政省へ|昭和24年 2022.10.07 万国郵便連合への復帰占領下の日本を象徴する出来事として、第12回万国郵便連合(UPU)大会議が昭和22年5月パリで開催されたことを紹介します。敗戦国の日本は大会議には招かれず、代わりにGHQの職員が参加したのでした。大会ではUPUが国際連合の機関となることが決定され、新たな万国郵便条約が締結され
横浜郵便役所の創設|明治4年 2022.09.27 横浜郵便発祥の地横浜には近代水道やガス事業など、さまざまな発祥の地の記念碑がありますが、横浜市中区弁天通3丁目には「横浜郵便発祥の地」の碑があります。ちょうど弁天通りと関内桜通りの交差点にあり、特に意識しなければ素通りしてしまうような小さな碑です。現地を訪れると意外に思うかもしれませんが、一方通
民間通信局(CCS)ってどんな組織?|昭和20年 2022.09.23 占領下の郵便アメリカの対日占領政策は政治経済はもとより各般に及び、連合軍最高司令官総司令部(GHQ)は、郵便を含む通信事業に対してもさまざまな場面で指令や覚書を出してきました。それを主導したのがGHQの特別部局として設置された民間通信局(CCS)です。日本国憲法施行記念(昭和22年)
戦後の普通切手|昭和20-23年 2022.09.16 新昭和切手の発行昭和20年12月、新しい時代にふさわしい平和色豊かな切手図案を募集し、入選作を中心とした一群の切手が発行されました。この新しいシリーズのことを「新昭和切手」と呼びます。このシリーズから右書き「日本郵便」に改められました。最初は目打なし糊なしの平版切手でしたが(第1次)、印刷局の復
昭和切手の登場と楠公はがき|昭和12年 2022.09.09 昭和切手の登場大正の初めから長らく使われてきた田沢切手が図案的な魅力にとぼしいことから、新しいデザインへの全面的な切りかえを望む声が昭和の初め頃からしきりでありました。逓信省は、このような要望にこたえ、<躍進日本>を象徴する絵画的な図案に全面的に改正する方針で、「改正郵便切手図案審査委員会」を組
関東大震災と震災切手|大正12年 2022.09.01 関東大震災と郵便関連施設の被害大正12年9月1日の関東大震災で、逓信省、貯金局、簡易保険局などが焼失し、京浜地区の郵便局、電信局の大半が被災しました。被災した郵便局は197局にのぼり、京浜地区の郵便業務は壊滅状態におちいりました。貯金局被災により貯金原簿ほか一切の関係書類が焼失しています。