中山道鵜沼宿町屋館|旧鵜沼郵便局(現・各務原東郵便局) 2022.04.15 レトロ郵便局舎 旧鵜沼郵便局(現・各務原東郵便局)の概要鵜沼郵便局(現・各務原東郵便局)は明治7年7月に鵜沼郵便取扱所として開設されたのが最初です。本家筋(武藤嘉左衛門家)が営んでいた郵便局を引き継ぎ、江戸時代に旅籠「絹屋」の主屋だった施設を転用して、明治16年頃(*18,21?資料により記載の異同あり)から郵
日本最初の切手が誕生する舞台裏について|明治4年 2022.04.08 日本郵便史の知識 日本最初の郵便切手―竜文切手4種明治4年3月1日(1871年4月20日)、銭四十八文、銭百文、銭二百文、銭五百文の郵便切手が発行されました。時間賃銭表は、目方五匁までの書状一通分の賃銭で、五匁以上十匁までは一通半、十匁以上十五匁までは2通分の賃銭が必要になります。新たに追加された四十八文切手は、
豊富町郷土資料室兜沼資料室として活用|旧兜沼郵便局 2022.04.07 レトロ郵便局舎 旧兜沼郵便局の概要明治36年に梅村庄次郎以下12戸の岐阜団体が兜沼に入植したのが、北海道豊富町の始まりでした。大正7年6月に三等局の上上佐呂別郵便局が置局されました。兜沼郵便局に改称されたのは昭和12年のことです。兜沼は上サロベツ原野の最北端に位置する湖沼で、近くにはキャンプ場もあります。現存す
機械印の変遷とその形状|大正3年~ 2022.04.06 マルコフィリー 機械印の始まり大正3年に押印の機械化がはじまりました。逓信博物館の林理作の発明した「林式郵便葉書自動押印機」が昭和10年頃までに100台以上が全国配備され、もっぱら郵便はがきの押印に使われました。消印能力は1分間に手動式250枚、電動式300枚という。この機械印は、一見すると手押しの櫛型印と同じ
観光案内施設として活用|旧伏見郵便局(松屋山田家住宅) 2022.04.03 レトロ郵便局舎 旧伏見郵便局の概要伏見郵便局(岐阜)は明治9年に五等郵便局として設置されましたが、明治19年3月31日をもって廃止されました。その後、新設の三等郵便局(無集配)として昭和8年3月26日に設置されました。請願による置局で、窓口業務が中心の小規模な郵便局舎でした。昭和18年3月22日から通話事務が行
郵便創業の第一便は何通くらいだったか|明治4年 2022.04.01 日本郵便史の知識 郵便創業時のトップは杉浦 譲駅逓権正の杉浦譲(1835~1877)の指揮のもと、駅逓司の職員30余名が郵便開業の準備を全力で推し進めました。明治4年正月には「先試ノ為メ来ル三月朔日ヨリ西京迄三十六時大坂迄三十九時限ノ飛脚毎日御差立両地ハ勿論東海道筋駅々四五里四方ノ村々幷勢州美濃路等モ右幸便ヲ以テ
戦後復興の中で生まれた丸型ポスト|昭和24年 2022.04.01 郵便ポストの話題 郵便ポストの戦後復興戦時中に鋳鉄製ポストが軍に供出され、代わってコンクリート製の代用ポストに置き換えられました。コンクリート製のポストは赤いペンキがすぐに剥げて、白いポストになってしまいます。耐久性にも問題があり、空襲で破壊された4700本のポストの復旧、代用ポストを鋳鉄製ポストに戻すことが戦後
重要伝統的建造物群保存地区の大内宿に所在|旧大内郵便取扱所 2022.03.31 レトロ郵便局舎 旧大内郵便取扱所の概要旧大内郵便取扱所は、明治5年8月に設置されました。重要伝統的建造物群保存地区にある旧大内郵便取扱所は明治7年からと伝えられ、阿部家が郵便取扱人を担いました。同局は明治17年7月に閉局したため、比較的に短命な郵便局でしたが、明治期に廃止された郵便局舎が現存する例は少なく貴重な
櫛型印の登場と展開|明治39年 2022.03.30 マルコフィリー 櫛型印のはじまりおなじみの「櫛型印」は、一・二等局では明治39年から、三等局では明治43年から使われはじめました。昭和61年に「丸型印」へ切り替わるまで80年間も使用され、内国用日付印の中心的存在でした。円を三分割して、上段に局名を、中段に年月日を、下段に時刻表示を配した型式です。中段をはさんで
明治33年の現役最古の郵便局舎|下関南部町郵便局 2022.03.28 レトロ郵便局舎 下関南部町郵便局(赤間関郵便局・下関郵便局・下関東郵便局)の概要下関は最初の郵便局ができたのは明治4年12月のこと。設置名称は赤間関郵便取扱所でした。赤間関郵便局が電信局と合併して郵便電信局となったのは、明治21年1月20日です。下関郵便電信局になったのは、下関市に改称したのと同じ明治35年6月
郵便創業前夜と前島 密|明治2-4年 2022.03.25 日本郵便史の知識 幕臣時代の前島 密前島密(1835~1919)は天保6年、越後国頚城郡下池部村の旧家に生まれました。医師を志し12歳で江戸に出たのですが、嘉永6年に黒船来航を目のあたりにして、砲台や港湾を見分する全国の海岸線を辿る旅に出ました。兵法・砲術・機関学などを学んだあと、函館の武田斐三郎に入塾、箱館丸で
丸一型日付印の登場|明治21年 2022.03.23 マルコフィリー 日付印の大改正明治21年9月、全国の郵便局で新しく統一された日付印を一斉に使い始めました。この「丸一印」と呼ばれる日付印は抹消も兼ね、東京などは明治33年末、その他の一・二等局は明治38年末、三等局は明治42年末まで、それぞれ使用されました。その型式は、円の真中より少し上を横線で二分し、