新式郵便が長崎まで達したのはいつ?|明治4年 2022.04.20 日本郵便史の知識 長崎まで郵便開通明治4年12月5日(西暦1872年1月14日)、大阪以西長崎までの郵便線路が開通しました。この時、長崎と神戸に郵便役所が新設され、大阪から長崎に至る街道沿いや枝道に郵便取扱所が増設されました。これで東京-長崎間の郵便がつながったことになります。すでに、同年8月には官営郵便
大正末期の旧甲府法人会館に入居|甲府中央四郵便局 2022.04.19 レトロ郵便局舎 甲府中央四郵便局の概要甲府中央四郵便局(山梨県甲府市)は明治23年6月に設置された相生町郵便受取所を起源とします。郵趣界においては明治32年10月以降の緑町ないし甲府緑町の局名表示の縦書丸一印(非郵便)がもっとも多くみられます。明治38年4月には三等無集局に改定されました。甲府中央四
前島密が駅逓頭に再任された経緯は?|明治4年 2022.04.15 日本郵便史の知識 前島密の帰国前島 密は明治4年8月11日(西暦1871年9月25日)に米国経由で帰国しました。その前日、駅逓司が三等寮に昇格し大蔵省駅逓寮になり、杉浦 譲*の後任の浜口成則が駅逓頭に就いています。さっそく前島は浜口に面会したのですが、浜口は「通信の事は已に飛脚屋あり。官営は予の可とする所に非ず」
中山道鵜沼宿町屋館|旧鵜沼郵便局(現・各務原東郵便局) 2022.04.15 レトロ郵便局舎 旧鵜沼郵便局(現・各務原東郵便局)の概要鵜沼郵便局(現・各務原東郵便局)は明治7年7月に鵜沼郵便取扱所として開設されたのが最初です。本家筋(武藤嘉左衛門家)が営んでいた郵便局を引き継ぎ、江戸時代に旅籠「絹屋」の主屋だった施設を転用して、明治16年頃(*18,21?資料により記載の異同あり)から郵
日本最初の切手が誕生する舞台裏について|明治4年 2022.04.08 日本郵便史の知識 日本最初の郵便切手―竜文切手4種明治4年3月1日(1871年4月20日)、銭四十八文、銭百文、銭二百文、銭五百文の郵便切手が発行されました。時間賃銭表は、目方五匁までの書状一通分の賃銭で、五匁以上十匁までは一通半、十匁以上十五匁までは2通分の賃銭が必要になります。新たに追加された四十八文切手は、
豊富町郷土資料室兜沼資料室として活用|旧兜沼郵便局 2022.04.07 レトロ郵便局舎 旧兜沼郵便局の概要明治36年に梅村庄次郎以下12戸の岐阜団体が兜沼に入植したのが、北海道豊富町の始まりでした。大正7年6月に三等局の上上佐呂別郵便局が置局されました。兜沼郵便局に改称されたのは昭和12年のことです。兜沼は上サロベツ原野の最北端に位置する湖沼で、近くにはキャンプ場もあります。現存す
機械印の変遷とその形状|大正3年~ 2022.04.06 マルコフィリー 機械印の始まり大正3年に押印の機械化がはじまりました。逓信博物館の林理作の発明した「林式郵便葉書自動押印機」が昭和10年頃までに100台以上が全国配備され、もっぱら郵便はがきの押印に使われました。消印能力は1分間に手動式250枚、電動式300枚という。この機械印は、一見すると手押しの櫛型印と同じ
観光案内施設として活用|旧伏見郵便局(松屋山田家住宅) 2022.04.03 レトロ郵便局舎 旧伏見郵便局の概要伏見郵便局(岐阜)は明治9年に五等郵便局として設置されましたが、明治19年3月31日をもって廃止されました。その後、新設の三等郵便局(無集配)として昭和8年3月26日に設置されました。請願による置局で、窓口業務が中心の小規模な郵便局舎でした。昭和18年3月22日から通話事務が行
郵便創業の第一便は何通くらいだったか|明治4年 2022.04.01 日本郵便史の知識 郵便創業時のトップは杉浦 譲駅逓権正の杉浦譲(1835~1877)の指揮のもと、駅逓司の職員30余名が郵便開業の準備を全力で推し進めました。明治4年正月には「先試ノ為メ来ル三月朔日ヨリ西京迄三十六時大坂迄三十九時限ノ飛脚毎日御差立両地ハ勿論東海道筋駅々四五里四方ノ村々幷勢州美濃路等モ右幸便ヲ以テ
戦後復興の中で生まれた丸型ポスト|昭和24年 2022.04.01 郵便ポストの話題 郵便ポストの戦後復興戦時中に鋳鉄製ポストが軍に供出され、代わってコンクリート製の代用ポストに置き換えられました。コンクリート製のポストは赤いペンキがすぐに剥げて、白いポストになってしまいます。耐久性にも問題があり、空襲で破壊された4700本のポストの復旧、代用ポストを鋳鉄製ポストに戻すことが戦後
重要伝統的建造物群保存地区の大内宿に所在|旧大内郵便取扱所 2022.03.31 レトロ郵便局舎 旧大内郵便取扱所の概要旧大内郵便取扱所は、明治5年8月に設置されました。重要伝統的建造物群保存地区にある旧大内郵便取扱所は明治7年からと伝えられ、阿部家が郵便取扱人を担いました。同局は明治17年7月に閉局したため、比較的に短命な郵便局でしたが、明治期に廃止された郵便局舎が現存する例は少なく貴重な
櫛型印の登場と展開|明治39年 2022.03.30 マルコフィリー 櫛型印のはじまりおなじみの「櫛型印」は、一・二等局では明治39年から、三等局では明治43年から使われはじめました。昭和61年に「丸型印」へ切り替わるまで80年間も使用され、内国用日付印の中心的存在でした。円を三分割して、上段に局名を、中段に年月日を、下段に時刻表示を配した型式です。中段をはさんで